人間としての運用をやめる〜この世の攻略法〜

人間としての自我に目覚めてからずっと、全ての相手へ言葉と礼節を尽くしてきたつもりだった。

それに対して誠実に応えてくれる人は多くても1割程度、軽んじてくる人が大多数なのがなぜか理解できなかった。


先日、切迫早産で半月の入院と相成った。
おそらく主たる要因は、義実家への里帰り出産をすることへの拒否感だ。なにが問題だったかは後述の通りだが、里帰りが避けられなくなった段階で嫌すぎてかなり思い悩んだし相当泣いた。
大好きな夫を育ててくれた人を否定することは言いたくなくて、極限まで抱え込むか、精神を一発KOされるレベルの失言をされた場合しか夫に助けを求められなかった。

妊娠してから、失言の発される頻度と失言のレベルが非妊時の比ではなくなったのだ。

困った。私は悪意のある攻撃には慣れているが、悪意のないとめどない失言への対処を知らない。

虐待はだいぶされていたが、実親、特に母に関しては、娘を傷付けたいという明確な悪意が見えたためこちらも悪意を向け返すことへの罪悪感はここまでではなかった。

だが、私にとって、悪意のない言葉に悪意を返すことは自身の倫理観の一線を軽く超えているのだ。

人間同士である以上、相手への最低限の礼節を欠かすことは私にとっては難しい。義母に悪意を向けたとき、私は私を人間たらしめる部分がなくなると考えているせいでなにも言い返せない。


産科病棟では、最初は大人しくしていたつもりだ。
用足し以外での歩行が許されず、ああ今年は花見は無理だな、と悟った。
このまま散ってしまうだろうと思っていた。

夕方、部屋の前の廊下に強い光が差し込んでいて、つい窓の外を見たくなった。窓は廊下のお手洗いの3メートル先程度の距離だが、勝手に歩いていいかわからずに立ちすくんでしまった。それを目に止めた通りすがりの看護師さんが手招きしてくれたので、窓に近寄って外を見たら小さいソメイヨシノが5本程度並んで咲いているのが見えた。

看護師さんと二言三言交わしたところで、涙が堪えきれなくなった。
思うところがあったようで個室に連れていかれ、そこでなにがあったのかを詳細にお話した。



鬱病の既往歴があることを踏まえ、精神科にかかるかカウンセリングを受けるか、または何もしないのかを選ばせていただけた。
少し考えたが、鬱病の時と比較すると思考がクリアすぎるためカウンセリングが手っ取り早く適切だと判断し心理士さんとの面談をセッティングしていただいた。



心理士さんはそこまで歳の離れていない女性だった。
実は大学生の時に大学カウンセラーにかなり嫌な思いをさせられたため、実になる話を聞けるなどはなから思っておらず、最低限会話が成り立ってその場限りのストレスが減ればいいなあ程度の考えしかなかった。

少し会話を交わすと、どうやらその斜に構えた姿勢は必要ないということがわかった。
この方の凄いポイントは枚挙にいとまがないのだが、敢えて一つ挙げるとすれば「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」が一発で通じ、意味の説明なしに文脈と照らし合わせてノータイムでとんでもなくウケてくれたことだ。知的すぎる。


完全に私の心を奪った心理士さんによると、私の取れる対策としては

「相手が人間だと思うのをやめること」

だった。

そうしたいのはやまやまだし心の隅には常にその気持ちがあったが、相手を人間だと思わないなどということは人間たるもの絶対にやってはいけないことだと考えていた。それをやったら私は人間でなくなってしまうと思っていたのだ。

だが、流石に心理学でご飯を食べている人間からこれを言われたらもう渡りに船どころか、地獄の底から見える光を受けてきらきら輝く蜘蛛の糸だ。

俺は人間を辞めないで済みそうだぞ。ジョジョ。



相手を人間だと思わないでいい、ということを許容するとこんな変化が起きた。

  • 失言に全く腹が立たない。言われても記憶から抜け落ちる。悪意のコンタミにも気付くものの、全く傷つかないで済む。

  • 聞く気も前提知識もないのにこちらの知識を試されるような発言をされた時、「これは教えてあげないときっとこの人は今後恥をかくから言ってあげなくちゃ」という気持ちが消え去り、自分の蘊蓄披露・知識確認のいい機会だと思える。理解させるための平易な言い換えに心を配らなくてもいい。しかも気が向かなければまともに返事もしなくていい。専門外なんでわかんないんですぅ、で良いのだ。

  • 行儀や言葉遣いがこの世の終わりの様相を呈していても、まあ人間じゃないから仕方ないかぁ!と思える。

  • 産後、少なくとも監督者が安全を確保しなければならない年齢の間は子供を預けられないという考えは変わらないが、子にとっては祖母なのにそんなことをしたら可哀想だという気持ちが消え去り、安全の方が大切だと素直に思える。

  • 利用できる部分だけ利用することに罪悪感がなくなる。この際人間カードリッジになっていただく。

  • 言葉を尽くす必要性が消えたため、疲労度合いが前の比ではない。

  • 大変口数が多い義母にきちんとリアクションをして返事をしなくてはという義務感が消えたため二人の時の口数が1割以下に減り、また独り言と判断した場合は反応すらしなくても気にならない。

  • 相手が礼節を欠いているのにこちらは心を砕いていることに不快感を感じていたが、それが消える。

  • 身を守るための嘘を罪悪感なく簡単につけるようになる。

  • 嫉妬を感じても心の底からどうでも良くなる。


キリがなさすぎるためこの辺りにしておく。だが、とにかく楽なのだ。



鴻鵠の皆様におかれましては、ボンドルド卿になって楽しちゃいましょう。

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