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もういい加減直しませんか?

ぼくが子供のころ、いい学校へ行っていい会社に入ったらいい生活ができるのはあたりまえだった。いってみれば会社員(当然正社員)というのはセーフティーネットで、それがあったうえで各自夢を追う、はずだった。

ところがまず年金が怪しいものになった。そもそもの制度がおかしいのである。人口が減少すれば破綻する仕組みなのに人口減が始まっても変更しようとしない。もう半世紀も放置している。

就職についても、セーフティーネットであったはずの会社員はいつのまにか難関資格になってしまった。この国の凋落はまだ続き、今度は健康保険も怪しい。

「国民皆保険」を謳っているのになぜ、民間の医療保険がこうもあふれているのか。ぼくも入ってる。先進医療の多くは国の健康保険適用外だからだ。これは皆保険と言えない。

水道まで民営化しようと画策し、水源地を外国人が買っていても問題視しない。トンネルは時々落ちるし、道路にも時々大穴が空く。人口が減るのだから税収は将来確実に減るしすでに寿命が来ているとこがたくさんある。

本来なら今は修繕で手いっぱいのはず。それなのにまだ新しい道路や鉄道を作る。矛盾している。

少子高齢化というが、50年前に予測できた問題だ。まったく手を打たないどころか現実逃避して成長戦略を取り続ける。矛盾している。少子化しているのになぜ学校の先生が足りない?なぜ大学は増える?矛盾している。

個人的利益を得る人物たちが国の未来を食いつぶしているのではないのか。

「博士号取得が難しすぎる」。それはそれでいいだろうに、実力・業績さえあれば時間がなくても博士号を取得できた論文博士制度を廃止(大学にとっては赤字の制度だからと推測している)。

代わりに「社会人ドクター」なる新制度を構築。大学院フルタイムで3年間かかるはずの博士号を同じ3年間、しかしパートタイムでおんなじ博士号を量産。さらには民間企業に社会人ドクター制度を活用しろなどと要求。

制度の問題は、ぼくが博士号を持っているから博士に注目したけれど、おそらく同種の問題があまたあるのだろう。

国の制度は国のためにつくられるべきであって、制度を作る人間のためでないのは至極当然のことである。

さらにはあらゆる制度が将来の担い手である若者をないがしろにし、分断を促している。富める者とそうでない者の差は目が回るほど大きくなり、多くの人々が自らの短期的将来を考えることで精いっぱいになっている。

さびしく暗い現状である。

つまりいまの日本は、

○ 夢を持つには生活の危険が多すぎる。
○ 老後を保証してくれない。
○ 健康も保証してくれない。
○ 国の安全と文化を守る意識が希薄、ほぼない。
○ 制度を国や将来のためでなく策定者の短期的未来のために改変する。

などなどほころびがたくさん。

このままゆっくり慣らされていてはいけない。茹でカエルになってしまう。

文句ばっか言ってても仕方ないので

ネット上でさっきみたいな文句をずっと言っている人は自分も含めたくさんいる。特に非難する気はない。ただ、ぼくはこの国の風景や四季、そして伝統文化や食べ物、気候風土も大好きだ。日本人だからね。

だから、文句ばっかいってないで本気でこの国を長続きさせるようになんとかしたい。ぼくはあと50年もすれば確実に死ぬのでまだましだが、国ごとそれでいいとは思わない。

というわけで問題提起をしてみました

序文

我が国の行方に明るい希望を持つ日本人はほとんどいないだろう。多くの人々が諦めるか自分だけ得をするか抜け出して縁を切ることを考えている。ここ半世紀における日本政府の失政を見れば当然の発想ではあるが、健全ではないしそうした発想は早晩破綻する。

なぜか。日本的ではないからである。日本人とは諦めず互いに損得を共有し国と運命を共にすることを受け入れつつ適宜絶妙な知識吸収と創意工夫によって生き残ってきた民族である。日本人が日本人である以上、良くも悪くもその性質は変わらない。

これは、滅ぶにまかせるのは切ないといったセンチメンタリズムから発想するものではない。一つの民族が離散崩壊するとその瞬間のみならず後も長く残酷な悲劇を伴うのが常であり、それは防ぐべきだという発想である。

したがって日本の再建というより、たとえこれまでの歴史にはなかったような形態であれ、日本がもう一度安定かつ持続的な状態を取り戻すために採用すべき方針を現実的に解き明かしていきたい。

客観的根拠に基づいて着手すべき点を列挙し、具体的方策をそれぞれに対して提案する。

すべての方策に対して時間的概念を取り入れ、各工程での年齢人口構成予測と合わせて実現可能な方策に仕上げる。提案する方策は分野を問わず、目的はかつての日本を取り戻すことではなく、今後の日本の在り方を論じ、そのために必要な方策と実行方法を探る。

つまり、私はこの国を存続させたい。しかしながらそのための具体的方策、施策を提案するには私の専門知識だけでは到底十分といえない。智恵を集める必要がある。

ついては各界の専門知識をお持ちの方々と議論して具体的かつ説得力のある実現可能な我が国の再建案を議論する場がないものかと考えてきた。

形態にはこだわらない。どのような形態が機能しやすいか、そこから議論を始めるのもよいと考える。

必須と考えるのは、

1.客観的かつ正確な情報に基づいた再建案の提示を目的とすること。
2.再建案が実現可能であること。
3.特定の思想に偏重しないこと。

参加者それぞれの考えありきの情報解釈ではなく、現在や過去に国内外で起こった事例を、それぞれのテーマに類似しているという根拠で抽出し多変量解析などの手法を用いて客観的に評価、それに基づいた方針の策定を行う。

方針の策定には各章の分野において専門知識を持った共著者を交えて議論し執筆したい。本論文は著者らの営利目的ではなく、時流に乗った論調にすべきでもないと考える。

ただし共著者が無限に増えては著作物・提案書として成り立たないことが予想されるため、柔軟な対応をしたい。

成果物を論文として発表するのか、参加者たちが各地で講演などを行うのか、理解のある政治家へ提案するのか、すなわちどのような形で世に出すか、についても現段階で定めず議論の対象とする。

知識や経験に覚えのある方、智恵を合わせませんか

繰り返しになるけれど、ぼくは日本の景色や食べ物、気候風土、自然と共に生きるという文化、顔の見える助け合いの精神、伝統技術、先端技術、ほかにもたくさんあるであろう「日本的なこと」が好きだ。

なくなってほしくない。しかし、ホントになくなりそうで、なくして儲けようとする輩もいる。なんとかしませんか。

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