母と長女のわたし。

今日は家族と食事会だったので、
夕方から大人7人子ども3人計10名あつまり、
ひとつのお店を貸し切って3時間のんびり過ごした。

フレンチのお店を貸し切って家族食事会なんて
どんなセレブやねん、とおもうけど、
わたしのパートナーの厚意と努力で
それができてしまう現実。

これで3回目。
お店は3周年。
めでたい。

私が量が食べられないので、
同じく食事制限中の母と隣席で
3時間みっちり親子会話という
なんとも深いじかんになった。
食べながら話しながら
私は時々ひどくむせながら、
母(長女)とわたし(長女)の会話は
世の中的にはどんな確執があるのかと想像しつつ
おだやかでハートフルな空気が流れた。

母は、むかしはとにかく責任感が強くて
あらゆることに自責の念があり、
こどもに感情のまま接していたと
認めている。
本当に不思議な人だった。
一度機嫌を損ねたら手が出るし、
何言っても聴いてもらえない。
母の独自のルールがあって、
それを守らないと生きていけない世界だった。

本人も子育てのその時は、本当に人が変わってたようだ。
基本的にプライドは高いが、それは知性の高さと品の良さからくるもので、人としては悪い人では無い。
純粋で箱入りでとても乙女な人だ。

かなきりごえをあげあり、
米研ぎ汁をぶっかけたり、
そとにほりだしたりするのは、
あの時期特有のものだったんだなぁと振り返りおもう。
そして兄への溺愛と私との比較もすごかった。
今となっては、フツーのやさしいおばあちゃんだ。
モンスターはどこにもいない。

思い出しては「あのときはごめんね」といわれるが
わたしとしても今更あやまられてもな、
という気持ちしかない。
それもこれも、心の学びを通して、
親との距離感を理解して自立できたことが、
自分の自信になったからだ。

今後も一緒に暮らす選択肢はないけど、
こうしてしみじみと過去を振り返り
3時間途切れることなく話すことは
とても愛おしい時間だ。

長崎被爆者で厳格な固定概念をもつ父親の長女の母と
その母を心から愛し、過去ワンオペでとち狂った妻時代ものりこえ、いまやせっせと健康食料理でご機嫌を伺う元亭主関白父の長女の私。

話し合ってわかりあえないこともあるけど、
その存在をまるっと愛している。
この人より先に死にたいなと思う。
それはこの人の死に
わたしが耐えられないかもしれないから。

視線の先、奥のテーブルでは、
かつては神童と呼ばれた溺愛の成れの果て、
お世辞にもかっこいいとはいえない中年おっさんの兄をながめながら、
時間って残酷だなと思う。
お酒は弱いのに、スパークリングワインを傾ける母。
私の咳が辛くて聴かないふりして、最後には本当に気にならなくできる母。
かわいらしい人だな。
一生懸命育ててくれてありがとうっておもってる。
諦めないでくれてありがとう。
愛そうと努力してくれてありがとう。
母が母であってくれてありがとう。

同時に、親より早く死ぬかもしれないことにたいし、
わたしが意欲を持って立ち向かわないことを申し訳なく思う。
死ぬなら早く死にたい。
誰にも迷惑かけず死にたい。
死ぬ理由が病気ならだれも傷つけない。
お金を無駄にかけてまで生きる意味を見出せない。


それは母がわたしをそう育てたのではなく、
わたしが自らそう育ったんだと自覚している。

6ヶ月のベイビーを母と2人であやしながら、
この子が私を覚えるくらいの脳の発達するときに
わたしは、
この世にいないのかもしれないなと
刹那的思考が起きる。
かなしくない。
さびしいけど。
望むところだ、と再認識した。
甥よ、おまえのいる世界は明るいぞ。

あんたのおばあちゃん、最高だよ。

しかし。
0歳児のほっぺた吸いってなんであんなに
無限ループできるんだろう。
赤子かわいすぎて脳みそが溶けた。
咳のしすぎで酸欠and腹痛(筋肉痛)だけど
これ以上ない幸せ…!!

食べちゃいたいぜ。とハムハムしてたら、
その横で母が、姪をなでなでして
「かわいくて食べたい」と言ってた。

わたしたちの愛情表現、結構やばい。
でも嫌いじゃない。


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