母からの愛を一人占めするために無意識にしていたこと
私が子供の頃、好きと言っていた果物はりんごだ。小学一年生の頃だったと思う。子供たちの好きな食べ物を、学級便りに載せるため、担任の先生が子供たちに好きな果物を聞いてまわっていた。私はその時、りんごと答えたのを覚えている。
今でもりんごは好きだし、なんで、りんごが好きかなんて、美味しいから。それぐらいにしか考えてもみなかった。
でも、なぜ子供の頃、りんごが好きだったのか、ある理由を見つけてしまった。と言うか、あることに気付いてしまった。
私は、心の奥深くでずっと、母には愛されていない。どうせ私よりも姉の方が可愛いんだ。私は、母の言うことを聞かない素直な子じゃないし、母から嫌われ、大事にされていないと思い込んでいた。
私の姉は、足に障害を持っている。だから、いつも母は、私よりも姉を優先にする。当たり前のことだから、自分の中でも納得させようとして努力してきた。でも、私だって、出来ないことがある。私も姉のように母に甘えたい。なんで私ばっかり、いつも我慢しなくちゃいけないんだろう?どうしていつも、姉ばっかり…。と私の心の中は、母に愛されていないという寂しさで、いつもいっぱいだった。
でも、母に迷惑を掛けちゃいけない、私が母にとってのお荷物になってしまったら、私は母に見捨てられるって不安を抱えながら生きていたんだと思う。
だから、出来るだけいい子を装った。出来ないことがあっても、母に頼らない。(ホントは頼れないだけだけど)我慢強い子供として育ってしまった。
私は、子供時代、病気で学校を休んだことは多分、1回ぐらいしかない。ただ単に身体が丈夫だったからと言うことでもなくて、なぜか決まって、冬休みとか学校の長期休暇に風邪を引く。
自分の過去を振り返り、心を探求するようになってから、あることに気付いた。
私が病気で学校を休むことになってしまったら、きっと母に負担が掛かってしまう。だから、敢えて、長期休暇を無意識に、選んでダウンしていたのかな?幼い頃の私なりの母への気遣いだったのかななんて思った。
そんな風に考えたら涙が溢れ出した。あんなに嫌ってた母のこと、本当はやっぱり好きだったんだ。本当は、私のことを、姉ばかりではなく、私だけを見て欲しかった。
そんな幼い頃の私の願いを叶えるために私は、自ら病気を作り出していたのかも知れない。病気になれば、母は私のことを大事にしてくれる。姉よりも私を優先してくれる。その時だけは、私のことだけを見てくれる。
それも、冬休みを選んで。健気だな。幼い頃の私…。
母は、私が病気になると、決まってすりおろしたりんごを食べさせてくれた。
食べさせてもらう時には、りんごは変色し、茶色っぽくなって、見た目はあまりキレイじゃなかったけれど。
幼い頃、唯一、私が母を独占できた、かけがえのない時間。その時に母に食べさせてもらったすりおろしりんご。
母の愛を確かなものとして感じることの出来たりんごの味。
だから、私にとって、りんごは特別な果物だったんだ。その時、私がなぜ子供の頃、りんごが好きと、言っていたのかがわかった。
あんなに嫌いだと思っていた母のこと、やっぱり、好きだったんだ。私も母から愛されたかったんだ。私のことを愛してくれていないと思い込んでいた幼い頃の私。私も母を嫌いになれば、ホントは母のことを好きな自分の心をこれ以上傷付けなくて済む。
このことから、私の心の奥深くでは、母の愛をもの凄く求めていたということに気付かされた。
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