不運な自分の人生って自分で変えられるの?
私は、不運な出来事に遭遇した時、そんな自分の人生を恨んでみたり、嘆いてみたり、私はツイていない人?神様に嫌われている?まわりの人たちのせい?私の日頃の行ないが悪いせい?
そんな風に考えてしまっていた。原因探し、犯人探し…そんなことを繰り返してきた。
でも、結局どれも自分が苦しくなってしまう考え方だった。
それに懲りて、どのように考えたら自分の心が軽くなる?って考えるようになった。
目の前で起きている出来事は、もしかしたら、私にとって何かしらの意味のある気付きを得るため、私自身の成長のために起きているのかも知れない。そんなことを頭の片隅にいつも置いておく。そうすると、目の前の辛い現実に対して、今までとは全く違う見方が出来たりする。
ネガティブな感情に飲み込まれると、自分の向き合うべき課題が見えなくなる。
目の前にとてつもなく辛い現実を突き付けられ、その真っ只中にいる時は、ネガティブなドロドロした感情に飲み込まれてしまいそうになるけれど…。
でも、目の前の辛い現実は、私の手に全く負えないところで全て創られているって考えたら、私の人生は運任せ?不運な出来事は自分で好転させることが出来ないってことになってしまう。
でも、そうじゃなくて、自分の人生は自分で決めることが出来る。自分の人生は、自分が選んできた結果なんだという前提で考えてみる。
自分で選んで決めてきた人生なんだから、たとえ今、不運な出来事に見舞われていたとしても、自分の人生は自分で良い方向へ変えられるということになる。そう思うと、未来に希望が持てる。
今の私にとって、こう考えることが自分なりに一番しっくりくる。
でも、この考えを今、悲惨な状況で苦しんでいる人たちに押し付けるつもりなんて全くないけれど。
結局は自分の心が少しでも楽になる解釈を自分なりに見つけることが出来たら、辛い現実から抜け出す道が開けてくるのかも知れない。
辛い現実を突きつけられ、人生ドン底に陥ってる時は、どんなに優しい言葉をかけてくれたとしても、その言葉を受け取れないことがある。
辛い時、どうしてもまわりにすがりたくなって、誰かに救いの手を求めてしまうけれど、外に強く求めすぎると、その自分の弱さにつけ込まれることがある。
親切を装って、優しい顔をして近付いてくる人たち。でも、本当は、そんな私を心から助けようとしているんじゃなくて、その人自身の自分の心を満たすための行動だったりする。
全ての人がそうじゃないと思うけど、自分の中でその親切、優しさに違和感を覚える時は、親切の押し売りなのかも…。それを、私の心の奥深くでは感じ取っているから、素直にその親切、優しさを、受け取れないのかも知れない。
何でも、私に任せて!私があなたを救ってあげる!!そんな調子のいいことを言う人よりも、あなたなら、きっと、その辛い状況から前に進むことが出来るよ!って私自身の力を心から信じてくれて、私のそばで優しく見守って応援してくれる人の方が信頼出来る。そんな人が真の優しい人って言うんだと思う。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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