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死ぬ。ってこと。

現役の看護師さんの語りで「死ぬ」ということを疑似体験したことを今日は書きたい。
だって、なんだかリアルで感情が動いたんだもん。

なんかワタシの人生では年に1回くらいは「死」について考える機会がやってくるんだけど、2022年はずいぶん早い1月のうちにそんな機会がやってまいりました。自分がきっと(どこかで)そういうアンテナを立てているからなんだとは思うが、ホント定期的。

ちなみに前回は三島由紀夫の50万円の彼の死体(を演じている)だらけ写真集を見た時だった。↓

死ぬときは何も持っていけない。
お金も指輪も大好きなマノロの靴も。

何もかもを「手放して死ぬ」んだなぁとしみじみ思ったんです。
「捨てる」んじゃなく、「断ち切る」んじゃなく、
「手放す」。

ちなみにワタシが最後に手放したのはモノじゃなくてヒトなんだけど、
ワタシが手放しても相手が手放さないから、
その絆が切れることはないんだなぁと安心して穏やかに手放すことが出来ました。

1969年に発表されて話題となった『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)という、エリザベス・キューブラー=ロス医師の著書によると、全てではないが人は大体5つのプロセスを経て死を受容するとある。

1.否認
自分が死ぬということはないはずだと否認する。
2.怒り
なぜ自分がこんな目に遭うのか、
死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける。
3.取引
「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
4.抑うつ
取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。
5.受容
死を受容する最終段階。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。

ワタシは彼女のナビゲートのおかげもあって、2.3.4を体験しないまま、5.だと思われる「絶望からくる悲しみ」の後の平穏を感じることが出来ました。

なので、あんまりリアルじゃないのかもしれないんだけど、この平穏を感じたことはなんとも素敵な体験だった。書くとクサいけど「愛」だなぁって。
そして自分が幸せだなと確信した。

トップの写真に使ったのは「フランダースの犬」の最後の場面。
人生で初めて死ぬってことをワタシが体験したのは、このアニメだったと思う。

大人になって、主人公のネロがどうしても見たかったルーベンスの絵をベルギーのアントワープまで見に行ったくらいに、
何らかの影響を受けたんだと思う。

最後に、めっちゃ泣くけど、いつ消されるかわかんないけど、
これまたワタシに突き刺さった映像を貼り付けておきます。

スイスでの安楽死を選んだある女性の亡くなる瞬間までに密着したドキュメンタリー。1時間だけど、見ると何かが変わると思います。

「死ぬ」ってことを考えるのは
「生きること」を考えることと同義だと
やっぱりワタシは思うんですよね。

皆様はどうですか?





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