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今だったら、こんな辺り

ここ何か月か、落ち着かずに過ごしていました。
人生が一変するかもしれず、
でも、できることが何もない。

想像したくない結果を想像する時間を
少しでも減らすべく、
最悪の状況下で生きる縁を探すべく、
それらしき本を読み漁る日々。
たとえば、世界の名著、フランクルの「夜と霧」など。

そんな中で出会ったのが、「ケアの魂」(2021年)。

筆者は、世界的に有名な精神科医、医療人類学者の、
アーサー・クラインマンです。

最愛の妻に下された、
早期発症型アルツハイマーという診断。
研究一筋だった彼の、ケアの日々の開始。

そこから、最後の時を迎えるまでの献身の様子と、
ケアの意味を問い続け、
ひとつの気づきに至るまでの物語であり、記録です。

妻に現れる様々な症状が、
アーサー博士を振り回します。

わずかばかりの希望や期待を抱かせた
その次の瞬間、絶望が訪れる。

そうして、やっとのことで眠りに落ちた妻のそばで、
彼もまた、横になります。

安堵の時間など、きっと束の間。
でも、少しでもそれが長く続くよう、祈りながら。

そして、こう結ぶのです。
「今日も良い日だった」

・・・一日の最後に良かったことを・・・

しかし、描写されるような時間、体験を経た後に、
アーサー博士のように言えるというのは、
並大抵のことではありません。

しかし、だからこそ、
妻に、ケアに、運命に向けて搾り出された
滋味、というより、「慈味」を、
感じずにはいられません。

私もこの言葉に、本当に支えられました。

夜、床につく時間。
今までの自分なら、
不安で眠れなかったと思います。

でも、こんな考えが自然に浮かんできました。

「布団が暖かい。暖かい中で寝られる。
   今日は良い日だった」。

ついでに、こんなことも。

「明日、 想像が現実になるかもしれない。
   そうしたら、きっと眠れなくなるだろう。
   ならば、そうではない今夜は、寝ておこう」

そうやって何十回か眠りを重ねた後、
最悪の現実はひとまず避けられたことがわかり、
今日にいたります。

案外、ほっとした今の方が、寝辛かったりしますが。


ところで私は、今回の経験を経たことで、
さまざまな出来事に対して、必要以上に動揺せず、
向き合える(付き合える)人間になれたのでしょうか。

答えはたぶん、Not yet。
そして、Not ever。

これまで、「これぞ!」という確信(核心)が、
私なりに見えてきた、と思ったことはあります。

にもかかわらず今回も、これだけ動揺したのです。

きっとこれからも、右往左往。
その時その時の支えに出会いながら、
私という人間を重ねていくのでしょう。

だから、今回書いたことも、
「今だったら、こんな辺り」の話。
それでも、何かのご参考になれば・・・。

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