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セプテーニグループのトップアスリートにインタビュー!~夢を掲げ闘志を燃やす フェンシングにかける思い~

こんにちは。セプテーニグループnote編集部です。
 
セプテーニグループではサステナビリティ活動の重点テーマのひとつに、「文化・スポーツ・エンターテインメント産業の支援」を掲げ、フェンシングトップアスリートの福島史帆実選手と西藤俊哉選手をアスリート社員としてお迎えし、選手の挑戦を支援しています。
 
今回は、世界で活躍するお二人にインタビューをしました!
 
オリンピック出場を通じた感想や学びをはじめ、選手としての思いをお話しいただきました!ぜひご覧ください。
 


福島史帆実さん フェンシング(サーブル)トップアスリート

福岡県出身。県が行っていたタレント発掘事業でフェンシングへの適正を評価され、高校1年生で競技を始める。持ち味は瞬発力を生かした攻撃で2019年のアジア選手権では3位に入ったほか、2020年の全日本選手権では優勝している。
2018年セプテーニグループに新卒入社。

西藤俊哉さん フェンシング(フルーレ)トップアスリート

父親の影響で、5歳でフェンシングを開始。小学3年時に京都で全国大会が行われた際、イベントの一環で対戦した五輪メダリストの太田雄貴が本気で戦ってくれたことをきっかけに五輪を目指す。運動量と攻撃力が持ち味。
2021年セプテーニグループに新卒入社。

ーこれまで様々なご活躍をしてきたお二人ですが、記憶に新しいのが、同時に初出場となった東京オリンピック2020です。
まずは、出場された感想や思い出などを改めてお聞きしたいです。

福島さん)
前日の夜などはとても緊張していましたね。でも試合が始まったら、勝ちたいという気持ちの方が強くなり、それほど緊張しませんでした。

ベスト4をかけた対戦相手はロシア・オリンピック委員会(ROC)でした。ロシア・オリンピック委員会(ROC)は世界ランキング1位だったのですが、過去の団体戦では日本が2回ぐらい勝ったことがあったので、ベスト4をかけた対戦でも勝つ可能性はあったんです。

でも、残念ながら負けてしまいました。すごく悔しかったですね。

ーとはいえ、出場自体、すごいことだと思います。

福島さん)
出場できることは嬉しいんですけど、やっぱりみんなでメダルを取りたいという気持ちの方が強かったですね。

ー前にお話ししたときにも思ったんですが、福島さんの闘志、本当にすごいです・・・!
西藤さんはいかがでしたか?

西藤さん)
オリンピック自体は、始まってしまったらあっという間だったなというのが正直な感想です。
それ以上に記憶に残ってるのは当日を迎えるまでが本当に大変だったことですね。

オリンピックの舞台に子供の頃からずっと憧れてきたので、出場が決まったときはとても嬉しかったです。ただそれまで4年という月日を共にしてきたメンバーの中から4人しか出場できないということもあり、選ばれなかったメンバーを思うと、喜びと同時に、そのメンバーの思いを引き継ぐような責任をすごく感じました。

オリンピック出場が決まった5月から7月の本番までに、約2か月の練習期間がありましたが、その期間は競技人生の中で一番つらい時期だったなと思います。やっぱり勝ちたいし、出場するからには金メダルを目指しているんですけど、どうしてもその理想と現実のギャップが出てきてしまいます。

休息の仕方や食事面など、このやり方で金メダルが取れるのだろうか、と。
そういう考え方はよくないとわかっているのに、日常生活もオリンピックへの意識がものすごくつきまとっていて、今までの試合とは全く違いました。

当時はとても苦しかったし、今となってはメンタル的にうまく調整できていなかったのかなと思いますが、その時は毎日必死でしたね。

そしていざ選手村に入村して試合、となったときは、あれだけつらいことを耐え抜いたんだからもう大丈夫、と振り切れていました。前日の夜も意外にぐっすり寝れたし、当日の朝もオリンピックだから緊張してるというよりは、通常の大会への緊張感でしたね。

ー選手村に入る前は、オリンピックは他の大会とは全然違うものとして意識していたんですね。

西藤さん)
僕はそう感じましたね。

試合自体は自分の望む結果ではなかったですし、悔しかったです。結果が出たときに、それまで費やした月日がなかったことになる感覚があって、とても悔しかったんですけど、ただ1回自分が出たことによって、オリンピックというのは何か、という価値観が自分の中でちょっと変わった感じがあったんです。

オリンピックに出て金メダルを取るということがもちろん夢ではありますが、そこに向けて必死にやってきて、実際に出て負けてしまった。
試合直後は、絶対パリオリンピックで借りを返してやろうって思ってたんですけど、ちょっと時間が経ってあたらめて冷静に考えたときに、もう一度パリを目指すということがどれだけ大変かということも、その時わかりました。

それを感じたときに、東京オリンピックのときとは違う覚悟・価値観でパリを目指そうと、最終的に決めたんです。

そういった考え・違いが生まれたのが、東京オリンピックでした。今回結果は出なかったのですが、出場してみて色々考えが変わったので、自分の競技人生ではすごい財産になるんじゃないかなと思っています。

ーオリンピックの捉え方が変わったのですね。競技に対しても何か変わりましたか。

西藤さん)
僕は不器用なタイプなので、これまではフィジカル面(体力・スピード・力強さ)など若さと勢いを生かしたアグレッシブなプレースタイルでした。しかしあの大舞台で目標を達成したいとなったときには、それだけでは一歩引けてしまうというか。自分のフェンシングの幅はとても狭いなと感じました。パリで金を取るために、もっと自分のフェンシングの幅を広げたいと思っています。

あとは、精神面ですね。
普段のワールドカップは負けても毎年次の機会があるし、オリンピックに出るための道のりという意味では何回でもやり直しがきくと思うんですけど、オリンピックは4年に1回しかありません。

オリンピックであっても、普段と変わらない試合のように戦えるメンタリティでいるのが理想かなとは思うんですけど、やっぱり特別な舞台だという意識は絶対でてきます。

そういったところで結果を出せる選手は、適応する能力や、どんな対戦相手がきても勝てる能力があったり、メンタル的な部分において、もっと大きい枠でフェンシングをやってるんだろうなとすごく感じました。

ー技術面・メンタル面も気づきがあったのですね。
 福島さんもオリンピックに出て変わったことや、学んだことはありましたか。

福島さん)
私は逆に、オリンピックだから勝ちたいということはあまり意識していませんでした。どの試合でも毎回勝ちたいと思ってるので、普通の試合ぐらいの緊張でオリンピックの舞台でも勝ちたいという気持ちでしたね。

でもやっぱり普通のワールドカップの時以上に本当にたくさんの方に応援メッセージなどをもらって、私はそこで初めてオリンピックに出場しているんだと実感しました。

選手村へ行ってもいまいち実感がなかったんですけど、普段フェンシングを見ないような人もたくさん試合を見てくれて応援してくれて、やっぱりオリンピックってすごいなって思いました。

今回は無観客だったのですが、もし有観客で、オリンピックの舞台でみんなに応援してもらえたら、また違ったんだろうなと思ったり。
そういうこともあり、私はオリンピックに出てみて、もう1回オリンピックに出たいという気持ちがより強くなりました。
 
ー全力応援したいと思います!
お二人は、いつからフェンシングを始めたのですか。

西藤さん)
5歳の時です。父親がフェンシングのコーチなのですが、僕が始めたのは最初は単純な理由で。

僕はスーパーヒーローみたいなのに憧れてる時期があったんですが、父の練習場について行ったら、そこでフェンシングをやっている姿がまさにスーパーヒーローだったんです。お面を被って剣をかざして。
そこから僕もやり始め、知れば知るほど楽しくなっていき、今年で20年になります。過去に挫折も経験していますが、それでも好きな気持ちがあったから続けられていると思いますね。

福島さん)
私は福岡県が行っているタレント発掘事業というのがあり、そこでフェンシングを勧められて高校から始めました。

タレント発掘事業というのは、オリンピック出場を目指して運動神経がいい子が集められ、体力測定をしたうえで小学校5年生から中学校3年生までの5年間で色々なスポーツを体験し、最終的にその子に合う競技を見極めるというものです。当時私は約9,000人の中の30人に選出されてそのプログラムを受けました。

もともと陸上競技をしていて、フェンシングは経験がなかったのですが、私にはフェンシングが向いていると言われたんです。
私は小学生の頃から漠然とオリンピックに出たいという夢があったので、フェンシングにかけてみました。

1年間ぐらいは練習でも試合でも勝てなかったんですけど、2年目ごろから試合で勝てるようになってきたんです。

ー2年目から勝てるなんてやっぱり向いていたんですね!そこから楽しくなって、頑張れた、ということなんでしょうか。

福島さん)
私はスポーツをしていて“楽しい”という感覚がわからないんですよね・・・!
いつも勝ちたいと思っているし、勝てたら嬉しいのですが。

メンバーと一緒にいれるのが楽しいということはあるんですけど、フェンシングの競技自体が楽しい、というのは私にはない感情です(笑)。

でも今はフェンシングが好きですね。サーブルが一番格好いいと思っています!

西藤さん)
僕ももちろん第一は「勝ちたい」です。ですがそれに加えて好きという気持ちがもうめちゃくちゃ強くて、言ってしまえば僕はフェンシングおたくなんです(笑)。
自分の試合とは関係ないのに、福島さんの試合の結果も全部見ます。

フェンシングのワールドカップのライブ配信も見るし、海外の選手も含めて全種目で推しメンがいます。そのくらいフェンシングが好きだし、なんでみんなこんな楽しい競技やらないのかなって。

好きなことを続けられる幸せを感じつつ、そういう気持ちがあるのでフェンシングの面白さを広く伝えたいですし、今後の仕事になにかしら繋げられたらいいなと思っています。
 
ー素敵ですね!
西藤さんは昨年セプテーニグループに入社されましたが、なにをきっかけに私たちを知ったのでしょうか?

西藤さん)
以前、全日本選手権に出場しているときに、観客席にめちゃくちゃ選手を応援してる集団がいて、誰の応援だろうと見たら福島さんを応援しているセプテーニグループの社員のみなさんだったんです。

あんなにアスリートと会社の人が繋がっていて、応援しているなんてとても素敵なことだなと感じました。

それですごく興味をもって、福島さんに聞いたら、「めっちゃ良い会社!」しか言わなくて(笑)。
それで受けようと思いました。

ー福島さんはどんなところを良いと思ってくれたのでしょうか。

福島さん)
やっぱり、すごく応援していただいているなと感じています。練習との兼ね合いで、出社できる回数は少ないのですが、毎回出社するたびに声をかけてもらったりして応援してもらってるなと実感するので、会社に来て帰る頃には、頑張りたいな、また次も頑張ろうという気持ちになれますね。

ー嬉しいです!
最後に、今後の目標をお聞かせください。

福島さん)
目標はパリオリンピックで金メダルを取ることです。来年の4月からオリンピック出場をかけたレースが始まります。
今、日本のサーブル女子団体は世界ランキング4位なのですが、この4位を維持できたらオリンピック出場は確定です。この順位を維持することはもちろん大変ですが、私は今のメンバーだったら4位に留まらず3位、2位までランキングを上げることができると信じています。

まずは出場権を取るのが一番大事ですが、そのチケットを取ることを通過点にして、パリオリンピックで金メダルを取りたいです。

西藤さん)
直近では僕もパリオリンピックに個人・団体で出場することが目標です。
フルーレは新しいチームになったばかりなので、これからさらにチームの雰囲気やコーチ陣とのチームワークが高まってくると思います。チームでやれることを楽しみながら、自分の競技を全うできたらいいなと思います。

また、今はフェンシングでの現役期間について特に決めてるわけではないのですが、毎回オリンピックが終わることは節目だと感じるので、次のパリで最後というくらいの意気込みで、残りの競技人生を楽しみたいなと思います。

パリオリンピック後についてはもちろん終わってみないとわからないのですが、ただそういう感情の中で競技生活をしてると、おのずとその先の新しい夢や目標ができてくると思っています。自分の次の夢を叶えるためにも、オリンピックという舞台の金メダルをさらに通過点にできるぐらい、精一杯取り組んでいきたいなと思います。
 
ーありがとうございました!

*****編集後記*****

これまで多くの戦いを経てきたアスリートらしいつよさを持ち合わせながら、時には茶目っ気も見せながらお話ししてくれた福島選手と西藤選手。
 
お二人からは、勝ちたい!という熱い闘志とともに、フェンシングを好きな気持ち、真摯な姿勢が感じられ、とても気持ちを奮い立たせてくれるインタビューでした。
 
今後もさらなる活躍を期待して、セプテーニグループで応援していきたいと思います!

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