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「いかなる花の咲くやらん」第11章第6話 「五郎 取り調べ」

「このことは長年考えていたことか。今、急に思いついたことか」と頼朝が尋ねた。
「馬鹿げた質問をなさいます。十郎が七歳、私が五歳の時から今日まで、常に考えていたことでございます。先年、頼朝様が御上洛なさった時も、身を隠しお供をし、夜は宿の隙を、昼は機会を狙いました。京の街中にお入りになっても、少しの隙もありませんでした。そこで四辻町にて切れ味の良い太刀を買い求め、ずっと身から離さず持っておりました。仇討ちのことだけを思い続け」京に上がったことは真ではなかった。箱根の別当様から頂いた刀の出所が露見しないように、京で買ったとついた嘘である。「その甲斐あって、昨夜本懐を遂げることができました。互いに目を見合わせ、言葉を交わし、打ち合いたかったものを、手向かい一つせず討たれたことは誠に残念でございました。ただし、本願叶いました上は一寸の首を千に切られましても、全く恨みはございません」
「祐経が、伊豆より鎌倉へ通うことは、月に四度、五度、十度もあっただろうが、何故今まで討つことがなかったのか」
「はい。おっしゃる通りです。この五、六年の間、足柄、箱根。酒匂、国府津、大磯、小磯、平塚、由比、小坪の辺りで、昼夜の区別なく狙い続けておりました。祐経を見かけることは多くありました。しかしながら、祐経の周りには常に五十騎から百騎の共に囲まれ、こちらは多くて二人、気持ちは猛々しく燃えておりましても、手出しはできませんでした。中途半端に仕損じては、却って仇討ちが難しくなるかと。
信濃の浅間山の麓、長倉、三原、離山、上野の伊香保、赤城、下野の那須に至るまで、狩りの際もあちらこちら付け回しました。それでも、つけ入る隙はなく。かくなる上は、今宵打ち損じますれば、その場で自害し、悪霊となり祐経を呪い殺す覚悟で居りました」
「お前は、このことを、誰かに話したか。味方はだれだ。正直に申せ」
「我々ほどの貧乏なものに誰が味方してくれるのでしょう。父違いの兄、小次郎には申しましたが、頼朝様を恐れ、相手にされませんでした。また、従弟の三浦与一に申しました折には、頻りに制しましたので、「冗談だ。」と言ってその場を収めました。
このように、親しい者たちでさえ、頼朝様の御威光の前では、手を貸してくれようというものはおりませんでした。そのようなことを申せば、手を出して縛られ、首を出してこれを切れと、言っているも同然」
「母には知らせたか」
「これほど、平穏でなかった昔でも、謀反をおこして仇討ちに出る息子を許す母親がおりましたでしょうか。山野の獣、川の魚でさえ、子を思う母の愛は深いものです。母に別れは告げとうございました。二十年物間育ててくれたお礼も言えず旅立つことは、心苦しくありました」
今まで声高々に話していた五郎の言葉が、母のことを話す時には、かすれ、時々嗚咽交じりになった姿は哀れであった。
そこへ新田四郎忠経が、十郎が最後に着ていた群れ千鳥の直垂と赤銅作りの太刀を持ってきた。
「あれは、十郎の衣装に相違ないか」
五郎はしばらく何も言えなかった。少しして、かすかな声で「はい」とだけ答えた。

参考文献 小学館新編日本古典文学全集53曽我物語
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次回「五郎 いさぎよし」に続く


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