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眞子さんは好きな人と結婚したらいいし、それは眞子さんの自由で当然の権利と思う話

すでに自分の人生を自分の思うままに選択できる権利があるのに、何で他人の人生まで自分のもののように口出しして、思うとおりにできると思う人がいるのでしょうか。

私はあまり様づけでは人を呼ばないので、敬称は「さん」で統一します。

眞子さんの結婚について、Yahooコメントを見てもわかるように「国民の意向を無視している」とか「わがままである」とか、国民の意思を反映した決断をするべきと考えている人が一定数いるようです。

どうしてそんな風に考えてしまったのか、いくつか理由を考えてみました。

仮説1:皇族は国民ではないため、憲法に守られず、婚姻が「両性の合意のみ」に基づかない?

皇族は仕事も選べないし、プライバシーも守られないし、人々の目にさらされながら、管理された人生を生きていかなければいけないってかなりハードだと前から思っています。本当に彼らに基本的人権ってあるのだろうか?と、今回ググってみました。

まず、日本に定住する国家構成員という広いくくりの「日本国民」(憲法10条)には、天皇も皇族も、私たちと同じように含まれていると考えられます。そのため憲法が保障する基本的人権は有しているというのが前提です。
 ただ天皇については、「国の象徴」(同1条)であり、政治の大もとを決める「国民(主権者)」からは除かれます。またその地位は「世襲」(同2条)で、「国政に関する権能を有しない」(同4条)とされているため、職業選択や政治参加などの権利は認められないと解されています。
 実はそのほかの皇族については、現行法上は一般国民と明確に区別する規定はほとんどありません。あるのは、「皇室典範」で男女平等や結婚、皇室離脱などに制限をかけた規定と、一部の財産法ぐらい。参政権についても、「戸籍を持たない者は当分の間、停止する」という公職選挙法付則がその行使の妨げになりそうだ、とされているだけです。
しかし現在は、皇族の権利や自由は大きく制約されているのが実態です。「皇族という特別な地位にあり、天皇と同じように制限されるべきだ」という考え方が市民の間で根強かったためと思います。

本文中からの抜粋です。読む限り、天皇も皇族も日本国民であり、当然基本的人権を持っているようです。一部制限があっても、私たちと同じ人間として、尊重されなければいけません。基本的人権が守られていない現在の状況が、不当な制約であるようです。

ここで見る限り、眞子さんは日本国民で、「両性の合意のみで」結婚することができるということです。これは、秋篠宮さんもおっしゃっていましたね。

結婚を当然に制限しようとしている人がいるくらい人権が守られていないので、私は人権がないのと勘違いしていたため、安心しました。すでにある権利については、当然守られないといけないと思います。

仮説1は否定です。

仮説2:天皇、皇族は国民の税金によって生活をしているので、国民の意向を聞くべき?

憲法に保護された権利を主張しているのに対して、NOとは絶対に言えないと思うので、仮説2からは単に私がどう思うかを書いていきます。

これはYahooのコメントにたくさん書いてあったコメントです。国民の税金によって生活しているというのは事実だと思います。でも、生まれた時点で眞子さんにそれを拒むことはどう考えても不可能です。

選択肢がなく、自分で要求したことでもないのに、対価を求められたとしたら、「え?」と思うと思います。赤ちゃんの時に飲んだミルク代やおむつ代を請求されたとしたら、私が頼んだわけではないし、ともやもやします。

眞子さんは自分で決められる時が来て、皇室を出ていく。しかも、その際の一時金や警備費なども辞退するというのですから、自分で決められない時分の生活費を枷にするのは卑怯だと思います。

お金を出しておいて、それをネタにゆするよりは、お金を出さないと主張する方がずっと健全だと思うので、皇室に税金が使われているのが不服な場合は、皇室廃止を主張したほうが、論理的だと思いました。

仮説3: 眞子さんの結婚は相手が不適格で日本の伝統にそぐわず、国際的信用を落としている?

眞子さんの結婚相手がどういう人であるか、直接知らない我々はもちろん、相当近しい人でも、結婚を予定している眞子さんよりわかっている人はそうそういないと思います。

でも、わかる必要はないと思います。それは、眞子さん本人が分かっていればいいことです。

ニュースになっている程度の情報を眞子さんが知らないわけはないでしょう。眞子さんが騙されているとか、よくわかっていないという発想になるのは、眞子さんを相当下に見ていると思います。

また、儀式がないとか、一時金を断るとかそういった型破りな行動をとったことは、眞子さんが強くそうしたかったからだとは思いません。

最初は、普通に記者会見を開き、婚約者を国民に紹介していました。正しい手順を踏んで、祝福されて結婚することを望んでいたのだと思います。残念ながら、親からも国民からも祝福を受けられなかったとなれば、今回の選択はわからなくはないと思います。

伝統は、古くからあるというだけで価値を持つわけではありません。紀元前から続いている奴隷制を伝統と言っている国があったら、かなり引くと思います。

古くから続いているからという理由で、婚姻の自由という基本的人権を制限するのは、奴隷制と似たような行為に思われます。眞子さんが世論に負けて、婚姻をあきらめることがあったなら、それこそ基本的人権が守られない国というレッテルを自国に貼る行為だったと思います。そうならなくて本当に良かったです。

結論

婚姻の自由は、日本国民みんなにあります。なので、眞子さんの婚姻の自由を脅かすのではなく、自分の婚姻の自由を行使して、楽しい生活を送りましょう。

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