生まれたっぽい町⑤
しばらくのあいだ、園庭や園舎を、園児からなるべく距離をとった上でぼーっと眺めていたら「暑いでしょうから、中へどうぞ」と女性の先生が職員棟へ案内してくれた。
職員室には何人か先生がいて、年輩の女性二人が相手をしてくれた。
「いやぁ、嬉しいなぁ。卒園して何年も経ってから幼稚園に訪ねてくる子なんてなかなかいないよ」
たぶん五十歳くらいの女性がそう言った。勝手に来てめちゃくちゃ迷惑のはずなのに、本当に嬉しそうにそう言ってもらえてほっとした。
「これどうぞ」
もう一人の六十代くらいの先生は、僕を空いているデスクに座るよう促し、さらにカップに注いだコーヒーとお菓子まで出してくれた。なんてあたたかいんだ三重の人々。
暑い中歩いて来たから正直コーヒーは冷たい方が良かったけれど、嬉しさの方が全然勝っていたのでありがたく頂戴した。
「クニちゃん(僕の担任だった先生のこと)の組やったん。何年の卒業?」
五十くらいの先生は、たぶん職業柄、普段からずっとそうなのであろう園児に話しかけるような優しい口調で僕に尋ねた。平成二年だと思いますと答えると、卒園アルバムを探しにいってくれた。
待っている間、六十代くらいの女性に聞かれた。
「へー、三十年近く前に住んでいらしたのね。それじゃ、あなたの息子さんも大きいんじゃない。ご結婚は?」
わー。わー。聞こえない、聞こえない。
僕は「してないです、すみません」と答えた。
「まあ、人それぞれですからね」
フォローがつらかった。
「うちの息子も四十すぎてるけど、まだ一人だしねぇ」
逆にフォローが必要になってしまった。
アルバムを探しにいった先生が、何冊か持って戻ってきてくれたけれど、僕の代のものはなかった。こんな展開になるなら、僕が自分の家から持参してくればよかったと後悔した。
「あ。連絡先書いた名簿なら残ってるかもしれない」
たしかに。今は個人情報の保護とかで連絡網みたいなものはないと聞くけれど、僕が子どもの頃は普通にあった。
先生は平成二年当時の園の名簿を見せてくれた。
「あ。これ、僕です」
ひまわり組の園児の欄に僕の名前を見つけた。父と母の名前もある。住所も電話番号も、やはり僕が記憶している通りだった。
これで少なくとも「ひょっとしたらこいつは話を合わせているだけの単なる不審者かもしれない」という先生たちの最後の疑念は払えただろう。ふう。
一枚ページをめくると、別の組の一覧がある。そして、そのリストの一番上に書かれた名前を見て先生は声を上げた。
「あら。わたし、隣の担任やった」
なんと、先生は僕が通っていた当時からこの園にいて、隣の組の担任だったのだ。
だからきっと、厳密には初対面ではないのだ。
「やだ、ごめんね。覚えてなくて」
覚えていたら逆にどうかと思う。それに、それはこっちも同じだ。