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僕の原体験記 【読書】

【教訓】
・読書は良い!本を読む習慣をつけてくれてありがとう。
・でもやらされてる感を感じていると幸福感や楽しさは感じない。
・やらされてる感があるとサボろうと抜け穴を探す。

僕は小学校3年生くらいから平日は毎日晩ご飯の前に30分の読書タイムがあった。

本の内容は昔の偉人伝や発明や歴史や小説などが中心だった。
お正月のお年玉はお金ではなく母親チョイスのマンガの大人買い。
毎週平日のどこかでは母親がスーパーなどで買い物に行く時に僕は区役所の図書館に放り込まれて読書タイム。

といった具合に小さい頃からとにかく活字に触れる機会をたくさんつくられた。

そして今僕は社会人も10年目に差し掛かり毎日読書をする習慣がついている。
少なくても毎月2〜3冊は読んでいる。
もちろん今は誰にも強制されることはなく自主的にちょっとの隙間時間でもあれば数ページでも読んでいる。
この習慣がこの小学校の時の原体験から身についたものだとしたら感謝している。
本から僕は色んなことを学ぶことができたから。

ただ僕の原体験の中では「〜られた、〜させられた」という言葉遣いをしてしまうように当時はその読書タイムは本当に苦痛だった。
放課後は毎日友達と遊びたいし、いまいちこの読書が自分の為になっている実感もない。
ゲームだってしたい、テレビが見たい、色んな欲求を抑えつけてする読書は辛かった。

そんな毎日の中、僕は一回反抗したことがあった。
いつもの読書タイムに偉人伝の本の中にドラえもんの漫画を挟んで読んでいた。
たちまちばれてめちゃくちゃ怒られ家にある漫画を全部捨てられた。(大学生になってから実は捨ててなかったと言われて全部戻ってきた)

やっぱり人は受け身なことだったり人からやらされている感を感じることは本当に幸せではないし楽しくもないからいかにサボろうかにアンテナを張ってしまう。
僕の親は親で僕が大人になって子どもの頃から本を読む習慣をつけとくと僕が立派な大人になれると考えてくれた作戦だというのは理解はできる。

でもやっぱり何でも自主的にすることが心の満足や幸福感に繋がるんじゃないかな、と感じる。

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