みぎわの箱庭
それは、春になる前の寒い日のこと
午後の仕事が落ち着いて、
ちょうどひと息入れようかというころにね
大きく大きく、地面が揺れた
遠くの海がたちまちふくれ、
そのままぱちんとはじけてしまって、
まちに覆いかぶさった
雪降りの夜が明けて、
浮かびあがってきた風景に
みなが立ち尽くしていたときにね
男の人たち、壊れたまちまで降りて、
生き残った人を探したんだよ
毎日毎日探してね
助けられた人もいたと思うが、ほとんどは死んだ人だった
きれいに並べたその身体に、まちの人らは別れを告げた
やがて海は戻っていって、暮らしは落ち着いたんだけどね
ある男だけは、人を探しつづけていたんだって
あまりに毎日探すから、
誰かに会えたかと問う人がいてね
男はね、
会えなかったけど
たくさん話を聞いたと答えて、
つづけて何かをしゃべろうとしたみたいだけどね
そのままぴたっと声が出なくなってしまったんだって
つぎの日、
いつものように出かける男を見た人がいたそうだけどね
とうとう戻ってこなかったんだって
荒野に草が伸びたころ、
波に置いていかれた種が、山際にたくさんの花を咲かせたんだよ
その花畑には、生きている人も死んだ人もその場所にいない人も、
みな一緒にいることができた
死んだ人は、
この花畑は永遠だと言ったが、
生きている人は、
そんなことはないと言ったね
二年くらいそんな時間があったみたいだけどね
ある朝ふと見あげると、あたらしい地面がぽっかりと浮かんでいたんだって
それで、生きている人は、
さっそく上がってみようと言ったんだけどね
死んだ人は、ここに残ると言ってうごかなかった
最初のころは行き来もあったみたいだが、
しばらくすると、上にもまちが出来てね
生きている人は、すっかりそちらで暮らすようになった
生きている人は、
下のまちを忘れていくと言って泣いたが、
その場所にいない人は、
何もかも忘れないと言って笑っていた
死んだ人はもうあまり喋らなかったが、時おり歌をうたっていたね
海風と山風がちょうどぶつかるから、
上のまちはいつも大風なんだよ
でもね、ある昼下がりにほんのすこしだけ
風が止むことがあったんだって
すると、足元から声が聞こえてね
女が地面に耳をつけると、なにやら歌のようだって
その歌をよく聞きたかった女が、
地面を掘って掘って進んでいくと、目の前がぱっと開けてね
そよそよと揺れる広い草はらに着いたんだって
あたりにはぽつぽつと人がいたそうだが、
うたっていたのは、壊れた塀に腰かけた初老の男だった
女はね、その人に頼んで、歌を教えてもらったんだって
初めて聞く歌なんだけど、なんだか懐かしいような感じで、
すぐに覚えられたんだって
しばらくふたりでうたっていると、
はるか天上から娘の泣き声が聞こえてね
女は帰ることにした
それから何日か経ったある日、
女が娘と、地底で聞いた歌をうたっていたら、
歌を教えてくれたあの男が
とても親しい人だとわかったみたいなんだけどね
どうしても名前が思い出せなかったんだって
その歌がね、いま子どもたちがうたっている歌だよ
女が掘った穴がこのまちのどこかにあって、
下のまちにつながる階段になっているんだって
ごらん
このまちの風景は、
そうやって出来たんだって
*「あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる(晶文社)」より
ーー
「あわいゆくころ」を出版して、はやくも1年が経ちました。
そして、東日本大震災から9年。
津波から復興のはじまりまでの“あわいの日々”と捉え、本に収めた7年間(2011-2018)は、もう2年も前のことです。
陸前高田では、あたらしい地面の上にあたらしいまちが出来始め、そこでの暮らしが着々と営まれています。
流された地面を目の前に暮らしていたころとは違い、あたらしいまちでは、かつてのまちの話をする時間はだいぶ減ってきたように感じられます。
それはとても力強く、ほっとするような事実です。
複雑な思い、傷の癒えないままのこころや身体を抱えながら、それでも愛おしい日々を積み重ねている人たちの姿があります。
このお話『みぎわの箱庭』は、“あわいの日々”の出来事が、100年くらい未来まで語り継がれていくなかで物語が編まれていくとしたら……と想像しながら書きました。
私自身が実際に、陸前高田でお話を聞かせてもらった人たちや、語りの中で出会わせてもらった人たち、その背景に広がっていた風景がイメージの発端となっています。
声に出すと気持ちのいいお話です。
ぜひ、読んでみてくださいね。
*こちらのお話を気に入ってくださったかたはぜひ、「あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる」をお手に取っていただけますと幸いです。