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確立された科学理論は覆らない

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 科学の役割って何だろう?

 筆者は「真理の探求」と答える。
 科学者は世界の理を探求し、真理を追い求めている。

「真理の探求」と言ったが、よくよく考えてみると"真理"などというものは果たして本当に存在するのだろうか?
 現在正しいとされていることも、1000年後とかに「間違ってましたサーセン」なんてことになっているかもしれない。例えば鎌倉幕府の成立は筆者は1192年と教えられ「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えたものだ。だが今では1185年とされている。「いい箱つくろう 鎌倉幕府」と覚えるらしい(箱ってなんなんだ)。

 科学の世界にも同じことが言えるのではなかろうか?
 高校で習う力学(ニュートン力学)は「"厳密には正しくない"」と聞いたことがあるかもしれない。「ニュートンの理論はアインシュタインの相対性理論によって"覆った"」と言われたりもする。

「真理」は存在するのか?

 はじめに、この記事で筆者が使う「真理」の言葉の意味をここで示しておこう。

 真理というのは、「客観的実在(人間の意識の外の世界)の意識への正しい反映」のことである。
 もう少し簡単に言うと「世界の正しい認識」だ。重要なのは、真理とは客観的実在そのものを直接示すものではないことだ。人は外の世界について意識を介してしか知ることができないし、外の世界は人の認識に拠らずただ存在しているだけである。

"絶対的"真理は存在しない

 さて、世界の"完全無欠の"正しい認識というものは存在するだろうか? つまり、ある真理に到達して「これで人類の認識は完結した。我々は世界をあますところなく知りつくした ー完ー」ということはあるだろうか? このような到達点を仮に「絶対的真理」と呼ぼう。

 結論を言ってしまうと、そんなものは存在しない。
 外の世界そのものがたえず変化し、無限に新しいものを生みだしてゆく発展過程であるからだ。世界と人間の認識はいたちごっこのようなものだ。

 となると、真理というのはやはり、まやかしの存在なのだろうか?

"相対的"真理は存在する

 世界が常に発展する一方で、人間の認識もたえず発展する。絶え間ない科学的な探求によって、それまでの限界を突き破り、私たち人間はいっそう深く外界を認識していく。
 人間の認識はその時々の社会的な制約(観測技術の限界やその時代の価値観など)を常に受けている。科学的事実のようなどんなに正しいと思える認識も例外ではない。
 しかし、認識はその制約の範囲内では正しいと言える。
 このような一定の範囲内で正しい認識を「相対的真理」と呼ぼう。そして、この範囲のことは認識や理論の「適用限界」と呼ばれる。

「物体の加速度は加わる力の大きさに比例し、物体の質量に反比例する」というニュートン力学の運動の法則などは相対的真理の例である。ニュートン力学の法則は「光速よりも十分遅い場合に」という条件がある。

「真理を探求する」と言った場合の「真理」はこの相対的真理のほうを意味している。

確立された科学理論(真理)は覆ることはない

「ニュートンの理論はアインシュタインの相対性理論によって正しくないことが判明した」という言説をたまに見かけるが、この主張は誤りである。

 ニュートン力学の理論は相対的真理である。適用限界があるのは当たり前なのだ。
 むしろ「相対論によって適用限界が明らかにされた」のだ。これは科学の進歩である。過去の理論は間違ったものとして投げ捨てられたわけではない。科学は過去の理論を足場として前進するのだ。例えば、ニュートン力学の諸法則は一定の条件下でアインシュタインの相対性理論から導くことができる(近似的に成り立つ)。つまり、ニュートン力学(相対的真理)は、アインシュタインの相対性理論(新しい相対的真理)の一要素を含んでいる。
 実際、ニュートン力学の諸法則は、現在でも依然として有用であり、人間の科学的活動によって日々正しさが実証されている。

 ……アリストテレスの物理学は、間違っているのではなく、おおまかなだけである。しかし、一般相対性理論と比較するなら、ニュートン物理学もまたおおまかなものである。そしておそらく、今日のわたしたちが知っているすべての事柄も、まだわたしたちが知らない事柄と比較すれば、おおまかであるに相違ない。

すごい物理学講義/カルロ・ロヴェッリ より

 現代に生きる科学者の役目は、実験や観察によって現在の自然法則、すなわち相対的真理の適用限界を明らかにすることと言える(注1)。

 科学における適用限界の話は以下。

注1)ニュートン力学が確立された当時はその適用限界は明らかになっておらず、約200年後、アインシュタインの登場によって明らかにされた。

で結局、真理って何?

 ここでいったんまとめよう。

  • 絶対的真理は存在せず、相対的真理のみが存在する。

  • (相対的)真理には適用限界が必ずつきまとう。

  • 真理を適用するときは、具体的な適用限界を意識しなければならない。

 真理はそれに伴う適用限界を超えて適用した場合に、真理から誤謬に転化する(注2)。

注2)「絶対的真理は存在しない」という理屈も、「相対的真理は存在する」という限界を超えて「真理なんて存在しない。世の中のことは誰にもわからない」と主張したら誤謬となる。

真理の条件

 では、相対的真理とそうでない単に間違った認識との違いは何だろうか?
 真理の条件については具体的な合意があるわけではないが、筆者は以下のように考える。

  • 一定の範囲内で矛盾がない
    矛盾というのは科学実験上の誤りも含む。実験の誤りというのは、例えば「密閉実験のはずが密閉が十分になされていなかった(外気が混入した)」などである。生物の自然発生説などはこの実験上の誤りを含んでいた。

  • 適用限界が社会的実践によって常に検証されていること

 逆に、真理とは関係ない条件は以下である。

  • 多数の人が支持すること
    真理であるから支持するのであって、支持するから真理であるのではない。科学は多数決ではない。

科学の役割は何か?

 真理は存在している。ただし、真理には適用限界が必ずつきまとう。だから、真理を適用するときは具体的な条件をたえず明確にして行なわれなければならない。
 そして、科学者の役割は、現在用いられている自然法則(すなわち真理)の適用限界を明らかにすることなのだ。

補足:置き換えられた科学理論

 今では他の理論に置き換えられてしまった理論にも、一定の正しさが含まれてる。ここでは天動説について見てみよう。

 天動説は地動説によって置き換えられた考え方だが、以下のように適用限界を考えれば相対的真理と言うことができる。

・真理
 太陽は地球の周りを円軌道で回っている。
・適用限界
 地上からの観察に限る。

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