あなたが吉岡里帆と結婚できる可能性
自分が吉岡里帆と結婚できる可能性ってどれくらいあるんだろう? と考えたことはないだろうか? 0.01%くらい? もうちょいあるかな? どう計算したらいいか検討もつかない。
お遊びとしてこのような可能性を考えるのは良いが、以下のような場合はどうだろう?
ある町で、今年度の予算配分について会議が行われている。
これは、収集がつかなくなる予感がぷんぷんする(会議に集中していない奴もいる)。この調子でいくと、様々な"可能性"が無数に出てきそうだ。それらについて延々と議論しなくちゃならないのだろうか?
このように、なんとなく使われがちな"可能性"という言葉だが、実は2つの意味があり、ごっちゃになって使われていることが多々ある。その2つとは、何かを議論する際に「考慮すべき"可能性"」と、「考慮に値しない"可能性"」である。「考慮に値しない"可能性"」も議論に含めてしまうと、えんえんと議論が続いて、判断ができなくなってしまう。
この記事では、2つの"可能性"を、どのように区別し、どのように判断していくべきかについて説明する。
明日ライオンに襲われる"可能性"
この例で考えてみよう。あなたが好きな女性をデートに誘ったら、「明日? ライオンに襲われるかもしれないしデートとかマジ無理」と断られたとしよう。あなたはどうすべきか?
この例は、それが発生するために必要となる前提条件が整っておらず、その条件が整わない限りは絶対に起きないものといえる。これは、単に人間の頭の中でそのように考えることができる、というだけのもので、これは現実的に実現性があるとは言えない空虚な可能性だ(注1)。強調しておきたいのは、これは確率の大きさの問題ではない、ということだ。前提が整っていないため、確率の大きさを議論する資格がない、それ以前のお話である。チケットを買っていない宝くじは当たることはないのである。
これが仮に現実性をおびるとしたら、例えば「ライオンが近所の動物園から脱走する」という前提が整ったときである。そうなって初めて確率の大きさの話ができる。
よって冒頭の断り文句は認められない。あなたは熱心に説明し、デートするように考えを改めさせるべきである(注2)。
明日雨が降る"可能性"
では、「明日は大気の状態が不安定で、雨雲が発達しやすく、西日本を中心に激しい雨が降るかもしれない。だからデートは無理かな……」と断られたとしよう。
これは現実的に起こりうる話である。より正確に言うと、それが発生するために必要となる前提条件が整っているため、現実として起こりうる(注3)。
よってあなたはデート日を雨が降らなそうな日に改めて、もう一度彼女を誘うべきだ。
まとめ
可能性という言葉を使おうと思ったときは、前提条件が整っているものか、そうでないものか区別して捉える必要がある(注4、5)。そして、可能性という言葉を口にして何かを議論するのは、それが前提条件が整っているものについてのみ許される。
繰り返しになるが、前提条件が整っていないものは、可能性がないと言っていい。吉岡里帆と結婚できる可能性についても、吉岡里帆と知り合うという前提条件が整わない限り、そのような可能性は全くない(注6)。
(図:抽象的可能性が実在的可能性に、実在的可能性が現実に転化するイメージ)
参考文献
鯵坂真、梅林誠爾、有尾善繁(1987)『論理学―思考の法則と科学の方法』世界思想社
第4章「弁証法論理学」 10節「現実性と可能性」
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