先日、銭湯で思いついた、くだらないけどスケールだけは大きい妄想
私の故郷には、かつて一軒の銭湯がありました。
暖簾をくぐると下駄箱があり、その奥に番台と脱衣所。
あとは浴場があるだけの、シンプルなつくりの銭湯でした。
番台の横に、瓶の牛乳が入った冷蔵庫があったのを覚えてます。
私は銭湯巡りが趣味となった今も、この古き良きタイプの銭湯に心惹かれてしまいます。
きっと昭和生まれの方々なら、共感して頂ける感覚かもしれません。
20代の銭湯マニア
一方で、私がTwitterでフォローさせて頂いているなかには、若い方も結構いらっしゃいます。
「SENTO FOREVER」さんは、20代のクリエーター集団さんです。
「お風呂ガールのフロ活」さんは大学生。
「明里 / Deepランド」さんも、同じく学生さんです。
彼女達はいずれも銭湯好きで、それぞれ独自の方法で、ご自身の銭湯愛を表現されています。
世代を超えた銭湯愛
驚くべきは、若い世代にも愛される銭湯の「求心力」です。
昭和を直接は知らないはずの彼女達は、私のようにノスタルジーを求めて銭湯通いをしているわけではなさそうです。
では、なぜ世代を超えて人々が、家にお風呂があるにも関わらず、お金を出して銭湯に通うのでしょうか?
ここに、私なりの一つの仮説を披露させて頂きます。
銭湯愛の起源
私たち人類の祖先であるネアンダール人は、かつて洞窟に住んでいました。
狩猟生活をしていた彼らは、群れで集団生活を営んでいたといいます。
旧石器時代と呼ばれる期間はとても長く、実に10万年以上もの間、人類は洞窟や洞穴での生活を続けたそうです。
「我々が銭湯に感じる郷愁は、この頃の洞窟生活から来るのでは?」というのが、先日、私が銭湯に浸かりながら思いついた妄想です。
我々のDNAに刻み込まれた遠い先祖のかすかな記憶が、浴槽内に共鳴する音の響きにより、ある種の郷愁として呼び覚まされるのでは?
そんなことを考えながら銭湯の湯船で目を閉じると、まるで自分が洞窟に住むネアンダール人になったかのようで、楽しい気分になりました。
以上、
先日、私が銭湯の湯に浸かりながら思いついた、くだらないけどスケールだけは大きい妄想でした。
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