これからの旅について書いてみたくなった
こんにちは 銭湯はしご酒 研究家 きむら あゆむ です。大学時代は、アルバイトでお金を貯め、まとまった休みには、日本を放浪したり、海外で語学研修という名の旅に出たりを繰り返していました。大学4年で訪ねた町のコトや、人との出会いをまとめ、卒業論文として提出しました。
その時から、旅のスタイルは、ほぼほぼ変わっていません。大学を卒業してからは、海外に行く機会はめっきり減りましたが、駅前で外国人を誘って、一緒に銭湯に行く遊びはしています。
どんな旅のスタイルなのかは、僕が書いた過去の記事を読んでもらえると嬉しいです。
緊急事態宣言が発令されて、外出自粛が叫ばれる最中、これからの旅の形はどうなるのか。そして、宿の形はどうなるのかを考えていきたいと思ったのです。
僕自身もHostel YUIGAHAMA+SOBA BARという、鎌倉にある宿泊施設で番頭としてお客様を迎える仕事をしており、簡易宿泊業界に身を置き、7年が経ちました。横浜の寿町で4年、鎌倉では、3年目が始まった直後にコロナショック!!
寿町について書いた記事はこちら
Hostel YUIGAHAMA+SOBA BARについて詳しくはこちらから
もともと、ゲストハウスがすごく好きだったかというと、そこまででもなくて。
リッツカールトンが六本木に出来た時には、泊まることは難しいけれど、ラウンジでコーヒーを飲むこと位ならと思い、足を運んだら、とても良い接客と居心地の良い空間で感動したことを覚えています。
大学1年生位までは、駅前の〇〇ステーションホテルや、三井ガーデンホテルを定宿にしていました。安心安全のクオリティとコスパの良さは太鼓判を押します。
僕がゲストハウスを使う様になるのは、大学2年になる位の時から、この当時、知らない居酒屋に一人で入って、知らないおじさんに話かけて、仲良くなって、2軒目に誘われるまで店を出ないという遊びにはまっていて、これを旅先でもしたら面白いんじゃないかと思ってやったのが、きっかけです。
2泊位できたら、1泊目は、一緒に泊まっているヒトと外に出て、2泊目は、1泊目に出会った地元の方と呑むという形が僕にとっての理想の旅になっていました。
勿論、旅人同士が仲良くなれるという点もゲストハウスの魅力ではあると思うのですが、そこで完結してしまって、町にお金を落とすことが出来ないのは申し訳ないなと思い、僕は基本的に旅先では外に出る様にしています。この辺がゲストハウス巡りが好きな方とレイヤーが違う部分かもしれません。
で、Withコロナ・Afterコロナにおける旅の形や、宿泊施設の在り方について、やっと書き始めます。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。まだ、少し続きます。
ここ数年、日本はインバウント需要により、宿泊施設の数が足りてないと言われ、ゲストハウス業界にも他業種からの参入が増えてきていました。それは、もう雨後のタケノコの様に沢山と。
でも、僕は、東京オリンピック後には、お金儲けが目当てで建てられたゲストハウスは自然淘汰されるだろうなと思っていました。ただ、今回のコロナショックにより、潮目が少し変わってきた様に感じていて、本当に想いがあって建てられたゲストハウスも閉じなければならない可能性が出てくる。
自然淘汰で消えていくだろうと思われていた施設は、大企業やキャッシュに余裕がある企業が運営していることが多いので残る可能性が高い(あまり収益性が高くないと考えた企業は撤退する可能性が高い)。これはとても皮肉なことですが、資本主義の中で生活している限りは仕方のないことなのかもしれませんが。
グローバル化が進み、世界が狭くなった世の中だからこそ、今回のコロナは世界に急速に拡がりをみせていて、ここ5年ほど、日本の観光業で着実に伸びていたインバウンドのお客さんは、向こう半年から1年は戻ってこない可能性が高い。そうなった時に再度、誰に向けて、どのようなサービスを提供することが出来るのかを考えていく必要が出てきます。
そこで、宿泊施設として、出来ることは何なのかを考えた際に、今一度、足元を見直して、地域の方にも集まってもらい、旅人や地域にいるお母さんや、お店をやっている方も集まれる多様性のあるスペースであることが、その町で宿泊施設をやる一つの価値になるのではないかと思っています。
日常と非日常の境目がだんだんと、薄れていく中で暮らすように旅をする!!そんな旅が当たり前になるかもしれません。
正直、観光名所と言われるところは、写真でみた方がキレイで、ガイドブックをなぞる様な旅の需要が減って、その町のストーリーや、その町に住むヒトの生活を知るそんな旅の需要が増えたら、僕は嬉しいなと思っています。
いつか、みんな笑顔で旅に出られる日が来ることを願い、今日は筆を置きます。