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【印象に残った小説#2】芥川龍之介『闇中問答』

 わたしが愛読している作家――芥川龍之介(1892~1927年)は、よく知られているように、若くして自分の手で自らの一生を閉じました。彼が晩年に発表した作品や遺稿には、その死を予感させるような、厭世的で鬱蒼とした色彩のものが多く見られます。

 例えば『歯車』という私小説では、自分へと忍び寄ってくる死(に等しいと彼が思い込んでいる状態)への予兆の数々を、赤裸々に書いています。作中には、彼を脅かす恐怖が事細かく描かれており、読む側にまで(時を越えて)不安を与えてきます。

 しかし、彼の遺稿のなかには、作家としての再起を誓い、強く生きていく決意を記した作品があります。それは、架空の対話集とでも表現できる『闇中問答』という一篇です。

 本作は、「或声」の問いに対して、「僕」(=芥川龍之介)が返答を加えていくという形式で作られています。

 自分が身を置く社会(時代)に対して、芥川は、『侏儒の言葉』では警句(アフォリズム)を発して、『河童』では風刺を加えました。読者に対して、冷水を浴びせかけたり、深い思考を促したり――彼はそこで、読む者へと語りかけています。

 一方『闇中問答』では、芥川は、徹底的に自分自身と向き合っています。「或声」は「僕」に対して厳しい指摘を加えることもあれば、擁護の姿勢を見せることもあります。しかし「僕」は、そうした言葉に同調しません。

 それは間違いだ、それは認識不足だ、それだけではないのだ――と牽制して、自分の心情や事実関係を簡潔に語るのです。

或声 ではお前はエゴイストだ。
僕 僕は生憎エゴイストではない。しかしエゴイストになりたいのだ。
或声 お前は不幸にも近代のエゴ崇拝にかぶれている。
僕 それでこそ僕は近代人だ。
或声 近代人は古人に若かない。
僕 古人もまた一度は近代人だったのだ。

芥川龍之介「闇中問答」『芥川龍之介全集6』ちくま文庫、1987年、417頁。ルビ削除。

 ――と、最初から最後までこのような問答が続いていきます。

 そして彼は、一連の問答のあと、次のように自らを鼓舞します。

(…)芥川龍之介! 芥川龍之介、お前の根をしっかりとおろせ。お前は風に吹かれている葦だ。空模様はいつ何時変るかも知れない。ただしっかり踏んばっていろ。それはお前自身のためだ。同時にまたお前の子供たちのためだ。うぬ惚れるな。同時に卑屈にもなるな。これからお前はやり直すのだ。

同上、427頁。ルビ削除。

 しかし芥川は、前途多難な人生に立ち向かうことはできませんでした。

 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

芥川龍之介「歯車」『芥川龍之介全集6』ちくま文庫、1987年、410頁。

 芥川龍之介の晩年の作を読んでいると、彼の悲痛な叫びが、まざまざと聞こえてきます。

 しかし、それらの作品を読むことで「救われる」こともあります。

 大学4年生のときのわたしが、まさにそうでした。将来の設計図をまったく作ることができず、心身の不調に苛まれるなかで、いっそのこと消えてしまえれば――というようなことを、ほとんど毎日のように考えていました。

 そんなときに、芥川龍之介の『歯車』を読んで、思わず涙をしてしまいました。うまく言語化できなかった、抽象的で混濁とした気持ちの悪い感情に、うっすらと輪郭を与えてくれたからです。

 ところで、「僕」はこのようなことも言っています。

或声 しかしお前は永久にお前の読者を失ってしまうぞ。
僕 僕は将来に読者を持っている。

芥川龍之介「闇中問答」『芥川龍之介全集6』ちくま文庫、1987年、414頁。

或声 しかしお前は安心しろ。お前の読者は絶えないだろう。
僕 それは著作権のなくなった後だ。

同上、423頁。ルビ削除。

 実際、「僕」が言うように、芥川の没後、多くの読者が彼の作品を読んでいます。現国の教科書に『羅生門』が掲載されていたり、「~は藪の中だ」というようなセリフが、いろんな文脈のなかで使われています。

 各出版社から芥川の作品集が刊行されています。そして何度も版を重ねています。芥川の(作品の)ことを論じた書籍や論文も、書店を歩いたり、論文データベースで検索したりすれば、見つけることができます。

 先日、『アメトーーク!』というバラエティー番組の「本屋で読書芸人」の回で(この番組は、「○○芸人」というくくりで、様々なテーマでお笑い芸人さんがトークをするというコンセプトです)、ちくま文庫の『芥川龍之介全集5』が紹介されているのを目にしました。

 芥川龍之介は、テレビのなかにも名を残しているのです。

 このシリーズ(?)の「#2」は、前回名前を出していない作家の小説について書こうと思っていたのですが、近頃は、芥川龍之介の作品ばかり読み直していて、そして、比較的マイナーな彼の作を紹介したいという気持ちもあり、この『闇中問答』を取りあげることにしました。

 いつ投稿することができるかは分かりませんが、「#3」では、いままでの記事中で(あまり)登場していない作家の作品について、わたしなりの「読書感想文」を書きたいと思っております……!

【参考文献】
・芥川龍之介『芥川龍之介全集6』ちくま文庫、1987年。

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