まちがうのが人間やき 土佐ダンディーの言葉にハッとした遍路道
ビッビー!ビッビッ!ビッビッビッ!
区切り打ちのお遍路中、人生で初めて高知県に足を踏み入れ、27番札所神峯寺(こうのみねじ)を目指して歩いていた時のこと。
予想外の大音量にビクっとして顔をあげ、音のする方を見ると、見知らぬ男性が軽トラのクラクションを鳴らしながら運転席の後方を指差していました。
あ…
歩き疲れてぼーっとした頭でも、そのクラクションとジェスチャーのおかげで、どうやらわたし道を間違えているっぽいぞと即時理解。
ちゃんと地図読んで進まんかい!
って怒られるかなぁ((((;゚Д゚)))))))とちょっとビクビクしながら止まった軽トラに駆け寄ると、窓があいて強面のおじいちゃま登場。
「そっち行ったらすーごい遠回り!こっち!」と。
自分では“道なりに”歩いていたつもりが、まんまとカーブに惑わされて右側の分岐を進み始めてしまっていたのでした。左側が正しい道。
軽トラのおじいちゃまが来たのは左側からで、遠くからわざわざクラクション鳴らして教えてくれたのでした。
見て見ぬフリだってできたのに。
「ありがとうございます。あっちだと思い込んでしまって…本当に助かりました!」
そうお礼を言うと、運転席に座る強面のおじいちゃまはニカっと笑い
『まちがうのが人間やき』
って。
この状況でこのセリフを言えるカッコよさにしびれてフリーズしていると
職人さんのようなゴツゴツした指で
ひとつ…ふたつ…みっつ…と指折り数えて「あといち…にぃ…さんじかんは掛からんくらいや。気ぃつけて」と言って軽トラで走り去ってゆきました。
実はこの日、金剛頂寺から20キロ以上歩いていてすでにヘトヘト。もしもここで道を間違えたまま歩いていたら、引き返して神峯寺に参拝する気力と体力は残ってなかったかも…と思うくらいギリギリで。
起こったことだけ書いたら「道を間違えた→通りがかった地元の方に道間違いを指摘してもらった」だけなんだけど
ひたすら自分自身と会話する時間のあるお遍路中のヘロヘロタイムの出来事とあって、このタイミングでの一言の浸透力は抜群で(しかも土佐言葉めちゃカッコイイ)
間違えることは決して好ましいことではないけれど、あまりにも保守的に
間違えないように間違えないように、しっかりリサーチしたりじっくり悩みすぎた結果
入り口がわからなくなったり、入り口がなくなったり、自分で入り口の扉閉じちゃったり
逃してきたチャンスとか道ってけっこうあったかも。ってハッとしたのです。
見たことない面白れぇ景色見たり
会ったことないタイプの面白れぇ人に会ったり
間違うことを恐れて、可能性の扉クローズしまくってきた自覚ありまくりで、ひたすら
間違うってなんだろう。正しいってなんだろう。って考えながら息も絶え絶えに神峯寺に辿り着いたのでした。
そもそも正しいだって絶対的ではないし
自分が正しい…その一歩目がにギクりしたばっかりですし
何が正しくて何が間違いかなんてそう簡単にわかんないけど、これまで保守的に消してきた選択肢を選択することにもチャレンジしてみよっと。
などと考えるキッカケをくれたこの言葉は、お遍路の旅路で手に入れたものの中でも大きなギフトでした。
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