感受性

悪いものからは受け取らない。良いものからのみ、だと・・・思う。

作品から多く受け取ってしまう

 感受性というのは、万象一切から受け感じ取るものを言うと思うのですが、今日は「作品」からの感受性に絞ってお話をしようと思います。作品というのは、他者が作ったもの。アートやテレビ番組、アニメ・マンガ。本来ジャンルを問わない言葉ですが、私が多く受け取るのはやっぱり関わる母数が多いアニメやマンガからでしょうね。

 結論からいうと、私は受け取りすぎてしまう人間だなと思います。でもそれはきっと良い作品からのみで、悪い作品からはそうならない。

良い悪いの判断基準

 作品の良し悪しの尺度というよりは、今回のお話に限った部分のお話かもしれませんが私はどれだけ共感できたかに尽きると思います。

 悪い例で取り挙げるのも申し訳ないお話ですが、昨日レビューしたトラペジウムなどからは、私は何も影響を受けていないと思います。
 あの作品から影響を受けたとしたら、私は今日、ポケモンスリープとポケモンGOを2作連続ではじめたりはしない。

 私はもっと分かりやすい人間で、はじめた理由はこの動画が理由で他ならない。ポケGOに関しては、以前から興味自体はあったんです。
 このポケモンのお話はそのうちお話します。

 話しを戻しまして、つまり私は良い作品からしか成分を摂取しないように出来ている都合の良いカラダなんです。
 ここでいう良い作品というのはつまり、共感できたものが多かったり、少なかったとしてもその一つが恐ろしく深く刺さったもの、という事になります。刺さったという表現は私には正しくない。
 そう、ノコギリのようなもので削り切られる感覚に近い。

だから良い作品に遭ってしまった時

 私は酷く疲弊する。仕事や私生活に支障をきたすレベルで影響を受けてしまう。
 何ヶ月か前に人に薦められて読んだ砂時計は良い例で、あの作品には削られました。

 特に自身が教育に興味がある人間だからかもしれませんが、教育について語るシーンがあるんです。何せ数ヶ月前に読んだ作品なので、1言1句合っているとは到底思えないので悪しからず。

先生は、教育は洗脳だと言ったよね。
特に小さな子供たちにとっては。
でも俺は先生に洗脳されて良かった。

 だから俺も教師をやっている、みたいなくだりなんですけど、自分の言動や行動が他者にどれだけのものを与えてしまうのかというものを考えると怖くなる時がありませんか?
 自意識過剰と笑われるかもしれませんし、実際そうです。でも365日生きていたら、10日ぐらいはそんな事を考えるんです。

そういう意味で・・・

 この作品には酷く削られました。

 物凄く良い作品です。私が出会い触れた作品の中で2024年、成瀬は天下を取るを越えるものは無いと思っていましたが、ちょっとこれは・・・次元が違う。
 成瀬も凄く好きです!何せ滋賀県大津市に行ってみたくなるほどですから!

 でも、この作品は何だろう・・・凄まじいんですよ。完結した作品なんですけど、オチは弱いというか、落としてないというか。
 私が見落としているだけで、どこかに12巻があるんじゃないかと思うような作りで。
 槙生も朝も私たちの棲むこの世界のどこかに、本当に暮らしているんじゃないかと思うほど自然で。

 リアルタッチ…というわけでもないんです。物語物語しているんです。でも凄いんですよ。それこそ、共感が。多いし深く刺さり、削られる

 この作品のレビューをいつかしっかりと出来る日がくるのだろうか。受け取ったものはあまりにも多く、私も一言では足らないんです。

 朝のように簡潔に伝えられたら、私はどう生きられただろう。槙生ほどの生き方をしてきたつもりはないけれど、やっぱり私は槙生タイプ。

 受け取りすぎてしまった。明日からの仕事、果たして円滑に進めていけるだろうか・・・。

 それほどの怪作に出会ってしまった。漫画として完成されすぎていて、これからやってくる2つの映像作品が怖くてたまらない。これは漫画として出来が良すぎる。

 とりあえず朝風に言える事があるとするならば、私は違国日記を愛している。

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