尼僧の懺悔10

実家に戻った私は、とにかく眠った。

この先どうなるのか、という不安が時々心を掠めるのだが、それさえも押し流すように眠り続けた。
高校卒業とともに飛び出した、実家の自室という貝殻のなかで、夜も昼もなく眠り続けた。
そして父親とは意味もなく衝突した。
思春期に反抗期らしいことをしなかった私は、利子の付いた借金を返すように、聖人君子の正しさでもって、金銭にだらしない父親に真正面から戦いを挑んだ。
病気のせいだと父親がまともに取り合わないことさえ、私の逆鱗に触れた。
デパスやパキシルというメジャーな薬を少量飲むだけで、副作用と思われるキラキラ感とめまいがして、出歩くことが怖くなった。

せっかく時間が出来たのだからと、数冊買い込んだ本が、まったく読めなくなっていた。好きだったミュージシャンの曲も受け付けなくなっていた。
遠距離の彼の気を引こうと心血をそそいで作っていた短歌さえ、まったく作れなくなっていた。
情報を入れるのも出すのもを体が拒んでいるようだった。
文章を読んだり書いたりすることに少なからず快感を得るタイプの人間だった自分は、その事実に随分とショックを受けた。

そうこうしているうちに遠距離でメールをずっとやり取りしていた彼との連絡も、寺での生活を思い出す故か、少しずつ疎かになった。
何かを頑張っていればこそ、甘えたり泣き言を言ったりできるというもの。なんの責任もなく、なんの頑張りもなく、ただ寝ているような人間に、なんの魅力があろうというのか。
勝手に業界から抜け出した自分が、現状出家として頑張る彼に何を言えばいいのか、わからなった。

心を押しつぶすほど私を縛り付けていた鋼のプレッシャーがなくなった今、風に翻弄される凧のように私の毎日はゆくあてもなく浮遊しているようだった。
それでも一か月という期限がくれば寺に戻れる、戻ったらまた何か変わるだろう、などという楽観がどこかにあって、毎日剃髪もして作務衣で生活していた。
尼を辞める気はなかった。

約束の一か月が過ぎても、私の病状はそんなに変化しなかった。
とくに逆流性食道炎で普通の食事を受け付けない状態が続き、体重はまだ減少していた。
自坊にもどる日は数度延期され、父親とぶつかる日が増えると実家にいることさえ苦しくなってきた私は、家出するように旅に出かけた。
出家して以降疎遠だった旧友たちを訪ねて歩く、きままなひとり旅だった。

最後に、遠距離でつきあっていた彼を訪ねて、どこぞの観光地の旅館で、普通の遠距離恋愛の恋人同士のように散々セックスをした。
時間的な拘束もなく、心を覆うストレスもなく、今その時の刹那しかない私は、与えられる性的な喜びの裏側で、どんどん自分の恋が醒めていくのを感じていた。

責め続けられて気絶するように絶えると、目の前が真っ白になって何も聞こえなくなる。
体が自分のコントロールを離れ、魂のみが自由になるようなその刹那に特別な価値があるように思えて、何度も彼を求めた。
セックスは手段になりつつあって、ロマンスではなくなっていた。
私にかかっていた何かの魔法はもう効力を失い、この関係ががもうそんなに続かないことをどこかで予感していた。

季節はすっかり夏を過ぎ、秋になっていた。
ようやく実家から寺に戻ったのは三カ月がすぎた頃だった。

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