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尼僧の恋 最終章「卒業」

卒論を書き上げてから、1ヶ月以上が過ぎ、卒業式の日がやってきました。

新しい門出を祝う卒業式は、すでに毎日が戦いだった私にとってそれほど楽しみなものではありませんでした。
それでも後輩と最後にまた会えるかもしれないという、その一点においては大切なイベントでした。

いまから思えば、うんざりするほど、私は彼に依存していました。

自傷で自らを支えていた私には、彼との思い出が唯一の救いだったので、致し方ないのですが、冷静に考えればやや狂気じみていたように思います。

卒業式当日、旧友やサークルの仲間に混じって、後輩の姿を見つけた時は、心の苦いもの全てが浄化されるのではないかと思うほどに、嬉しく高揚しているのがわかりました。
二年の尼僧生活を経て、すっかり板についた墨染の衣を、春の風に吹かせながら、今生の別れとはつまりこの時であると悟って、彼の前につかつかと歩み寄り
「会いたかった。」
ただ一言、微笑と共にそう伝えました。
周囲がすこしだけ、え?という空気になった直後、後輩が笑顔で握手を求めながら、
「先輩、卒業おめでとうございます」
と答えたことによって、それはありふれた卒業式の景色となり、後は仲間たちと普通の送別の挨拶をして、卒業式は一欠片の切なさを添えられて、終わっていきました。

後輩の手に触れたのはそれが最初で最後でした。

我々は清々しいほどにプラトニックだったと、後から気が付きました。


翌年、彼が東京で就職したことを知りました。

メールするチャンスがまったくなかった訳ではありませんでしたが、それはもうしませんでした。
彼との思い出は、その後もずっと美しい光として、私の女である部分を支えてくれました。

それだけでもう充分でした。
もうなにも必要ありませんでした。

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