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生きづらさを抱えながら、丸ごと愛せるように


わたしはHSPで、かつ場面緘黙症の後遺症を患っており、

生きづらさを常に抱えている。

「あー本当にめんどくさい性格、しにて~~~~~~」って心の中でしょっちゅう叫んでいる。


自分は自分からは逃げられない

この事実を知ったとき、残酷すぎて、目の前が真っ暗になった。

わたしがわたしである限り、この苦しみから逃れられないのなら、

いっそ死んでしまおうかと、何回か本気で考えたことがある。


環境はいくらでも変えられる。

今いる場所がつらいなら、辞めて違う場所に行けばいいだけ。

最初は真新しくて、全部が新鮮で、うまくいっているかのように、思えてくるだろう。

でもきっと、時間が経てば、うまくなじめずに自分だけが枠の外にいるような疎外感に苛まれて、結局また同じことを思う。

ここじゃない違うどこかに行きたい、もっとわたしがわたしらしくいられる場所にって。


幸いにも、人に恵まれてきたこと、自身の粘り強い性格もあり、部活やバイトや仕事も一つの場所で長く続けてこられた。自分が一度決めたことやこれだ!と信じた道を突き進んでいくぶれない部分は、自分の唯一の長所でもあると信じている。

でも、嫌いな人間が近くにいたら即辞めたる!っていう脆さも持ち合わせてる。
だから、人と深く積極的にかかわることを避けてたのかもしれない、ある種の防衛反応で。

けれど、どんなに恵まれた環境にいても、そこに腰を据え根を張るようになるにつれ、苦しくなっていく。

組織に馴染んでいるような平気な顔して、心はむせび泣いている。

人と比べる心、繊細過ぎる感性が、いつもわたしを生きづらくさせる。

人の笑い声に耳を塞ぎたくなり、さみしさに押しつぶされそうになる。

会社員勤めは心底向いていないなって思うけど、人と違う生き方をする度胸もない。

世間体や周りの目ばかり気にして、正社員として一つの会社に勤め続けている自分、という上辺だけのステータスにしがみついて安心している一方で、自分らしさを求めて、真っ暗なトンネルを彷徨っているような感覚。

どこに行っても同じなんだってわかっている。

20代後半になり、深く狭い人間関係の中で受容と内省を繰り返すうちに、自分は自分からは逃れられない、という事実を受け入れられるようになってきた。

というか、生き抜くためにはそうする術しかなかった。

矛盾や苦しみを携えながらも、へんてこでいびつな自分を丸ごと抱えながら、愛せるように、

自分にしか歩めない道があると信じて、

儚くモロく、されど強い心を持ち、

低く飛ぶ心を軽くしてくれるものたちを愛しながら、


根っこの部分は太くぶれず腐らずに、でこぼこな一本道を、生きていく。


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