10年の月日が教えてくれたこと。
4月の最初の土曜日
宮城県女川町に行きました。
女川町は東日本大震災で津波の被害が甚大だった場所。
今日は、10年ぶりに再訪したことで感じた時間の経過に対する想いを
仕事の面と環境の面からつらつら書いて行きます。
震災後に見た風景も変わってました。
JR女川駅を降りると、目の前には太平洋(港)に向かってプロムナードが出来上がってました。
カフェ、地ビールといった飲食店やお土産品店、町民の交流センターなど外部から来た観光客や地元の人が交流できる場が出来上がってました。
写真は2013年の様子(引用元:女川町HP)
再訪の理由
今回は、10年前に「女川マダム」という撮影企画に参加されていた方たちから再び撮影依頼があり、カメラマンの鈴木麻弓さんからの声かけでメイク担当として参加しました。
10年前は仮設住宅の中の交流会場がスタジオでしたが、
今回は、シーパルピア女川として新しい観光スポットとなった場所に位置する女川町まちなか交流館を会場に簡易的に撮影スタジオを設置。
10年前の企画時は、
カメラ雑誌に取り上げられたり、仙台市で写真展が開催されたり、私自身の経験としても多くのことを学ばせてもらえた時でした。
10年前にメイクをした女性とまた再会でき、あの時の思い出話から、
そして今の心情も、メイクをしている時間にたくさんの話題が溢れてきました。
メイクは落としてしまえば二度と同じ仕上がりにはできないからこそ、私はメイクする瞬間は一期一会と思い、相手の方と接しています。
過去にメイクをした方とまた再び会うことができることは何倍もの喜びと幸福感を私に与えてくれます。
10年前は、「今の自分」を写真に残すことに抵抗があったマダムもいました。
メイクをしながら、「今までの写真も何もかも失ってしまった。」と哀しみと失望感の中、カメラを前に笑顔になれなかった女性がいたのも事実です。
10年前は、津波という人生で体験しようもない出来事を経験し、
未来がどうなっていくのかもわからない不安や哀しみの中、それでも毎日過ごしていかなければならない。
外部から支援という形でさまざまな人との交流もあり、混沌とした状況の中、ほんの少しでも楽しい気持ちや和やかな時間を過ごす。
なんとも表現し難いカオスの中での撮影でした。
10年後、今度はコロナ禍というまた未知なる環境の中。
いつものお茶っこ(漬物やお菓子を食べながらお茶する時間)タイムは実現できなかったけど、久しぶりに顔をみて話す時間も貴重なひととき。
お互いの近況を確認して、安心できるからこそ明日へ、また未来へと日常を過ごしていける。
メイクを仕上げていくうちに、お父さんから「めんこくなって。」と言われて2人で朗らかにカメラの前にポーズする姿。
「マスクしているからメイクをさっぱりしなくなったけど、やっぱり、メイクするっていいね」と鏡をみて満足気に話してくれたマダムも。
参加されたマダム達の会話や笑顔、表情には、
10年前とは違う気持ちの余裕が出ていたような気がしました。
私が感じた10年という月日の変化。
街並みの風景も変わり、新しい建物が増え、まるで新たなニュータウンのように変わってきたなかで、
そこに住むという日常を繰り返しながら、女川の人たちも新しい町に馴染もうとしている感じがします。
私が写真撮影のメイクをする理由は、
写真にその人のストーリーがあるから。
メイクをする時は、目の前の人をキレイに。
ただただそのことに意識を集中していると、思いがけず自分の過去や思い出など、いろんなことを話してくれる。
相手(私)に心をオープンにしてくれる瞬間があるのです。
メイクをしている時間は15分や10分程度の時もあります。
そのほんの少しの時間で、その人のストーリーを聞きながらメイクにもその思いや気持ちが伝わってくる感覚があります。
たった一枚の写真から家族や友人達の忘れられない思い出ができたり、
人生が変わることもある。
今回の写真も、これからの人生のストーリーの一つとして心に残る一枚になってくれたらいいな。と思います。
久しぶりにカメラマンの鈴木麻弓さんともプロ意識、同じ価値観を共有できた日になりました。(2021年4月3日)
サポートありがとうございます♡今後の執筆活動に活用させていただきます。 お礼に、「メイクに関するお悩み」を一つ教えていただければ、「お悩み解決のヒント」(レポート2枚程度)をプレゼントします☆☆☆