見出し画像

断末魔にも似たチラシ「義勇隊員に告ぐ」は「今こそ血と団結で戦へ」と絶叫

 いよいよ戦争の行く手がきつくなってきた1945(昭和20)年、日本国内では最後のあがきのようなさまざまな手が打たれます。その一つが、大政翼賛会などせっかく戦争遂行のためにつくった各種団体を解散させて、新たに結成した「国民義勇隊」です。市町村や職場、学校ごとに隊を編成し、特に本土決戦準備と本番で効率よく軍を支援する狙いで、指揮系統を統一しました。下写真は、帝国生命横浜支店の国民義勇隊であることの証明書です。こうした証明を役場に提出することで、だぶって隊員になることを避けました。戦争末期とあって、紙もばらばらです。

国民義勇隊員の証明書

 そして、義勇隊員として活動するときのために、サイズや書式が決められた名札もそれぞれで作られました。下写真は、長野県の諏訪地方の会社の義勇隊員がつくったものです。

義勇隊員の名札

 長野県丸子町(現・上田市)役場では、1945年7月の常会徹底事項で「義勇隊について」と題し説明しています。とにかく名簿上でこの春から急いで作った組織ですから、あらためて説明する必要があったのでしょう。「戦局は皇国存亡の危機に直面す。竝に国民の極致組織として義勇隊が生まれた。一億国民男も女も老いも若きも悉く隊員である。よろしくその趣意を体して使命の達成に誤り無きを期する事」と前置きがあります。

国民義勇隊を説明する常会徹底事項

 そして説明が続きます。
 「1・義勇隊は防衛行動のみを目的とするものでなく、寧ろ補給や生産の増強等に其の職任の完遂を期すべきである」
 「2・女は17歳以上40歳、男は15歳以上60歳(ただし特殊条件を有する者を除く)までの隊員を第一行動隊と称し超非常時には軍の命令により、各々隊長の指揮に基づき戦闘に参加することあり。その他は第二行動隊と称し、平素生産増強のため職域に邁進するものとす。又、必要あるときは隊長は勤労作業、勤労奉仕等に義勇隊員の出動を命令する場合あり」。軍として行動できるよう、国民義勇兵役法も設けられていました。
 「3・義勇隊こそは国民皆兵の真意を具現せるものに付き、徒に規則に拘泥することなく、働ける者は一寸の作業、一分の時間をも尊重し、是を活用して国力、戦力の涵養に邁進すべきである」としています。
           ◇
 とにかく、終戦間際までに組織の編成だけは終えていました。しかし、当面やることは上記のように、そう変化はありません。そこで士気を高めようとしたのでしょう。長野県の丸子町も含む小県郡の町村でつくる小県郡連合義勇隊は、表題写真と下写真のような檄文を配布しています。

終戦間際の檄文

 「今こそ血と団結で戦え!!」と表題は激しいものとなっており、前文も「一切を戦争に役立たしめよ!」「持てるものの一切を、今こそ大君に捧げまつろう」と天皇のためとの厳しい表現になっています。

檄文の前文

 「隣人と死ぬ覚悟を固めよ」など、もう、いっちゃっている表現のあと、具体策として食糧の分散貯蔵、建築物の迷彩、灯火管制、防空壕設置を急げーといった内容です。日本軍の本土決戦要員がろくな武器もなく精神力で戦うよう求められたように、こちらも精神力の鼓舞はできても、やれることはもう大したことはできないという、限界を示しているように思えます。

実行することはこれまでの延長

 結局のところ、精神的な崩壊を防ぐ、内乱や罷業を防ぐ、というのが精いっぱいだったのでしょう。戦争をやってる感の維持。これこそが、国民義勇隊の実態だったのではなかろうかと思えます。
 国民義勇隊や義勇戦闘隊については、またたびたび取り上げたいと思います。

ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。