5年越しの約束を果たせた「牧内兵長回想録」出版
今夏の信州戦争資料センター展示会にお越し下さった方は、実物をご覧いただいたと思いますが「一兵士が戦場を描いた記憶 牧内兵長回想録」を、展示会に合わせて発刊しました。実は、この本を作ろうと思い立ったのは、回想録が見つかったという新聞記事を見て「誰かに本にしてほしい」から、すぐに「自分が本にすればいい」と思い直してから。2018年1月のことでした。ご遺族と連絡を取り始め、ご理解を得て、まずは保存のために写真を撮影するというところまでは何とか順調に行きました。
しかし、そこから先、どうまとめるか。現在の飯田市出身の牧内寛末兵長は、美術を中等学校時代にやっていて、この回想録は復員直後に2か月ほどで描いています。しかし「一番鮮明なところは描けなかった」と家族に話していて、確かにつながりがよくない部分があります。当時、本当に辛かった苦しかったことを思い出すのは厳しい心境だったのでしょう。
何より、単純に絵を復刻するのではなく、日中戦争から端を発して敗戦に至る歴史の流れに沿って、きちんと絵を配列することで、牧内兵長が見た「戦場」を浮き彫りにできると思ったからです。
幸い、牧内さんはお亡くなりになる数か月前から、回想録で欠けている部分について3冊のスケッチブックを仕上げ、その一か月後に亡くなられました。しかし、家族は説明を受けることなく、近年まで「回想録」とともにひっそりとしまわれていました。それも同時に見つかったので、かなりの部分が解明できましたが、いつビルマに行ったのか、インパール作戦のどの部隊に補充されたのか、が不明のままでした。
新型コロナ禍もあって数年、調査もなかなか進まないでいたところ、おそらくビルマ戦線の研究をしていた方の蔵書が大量に放出され、いくつかの資料を入手でき、やっと所属部隊、ビルマ転属の日といった重要なポイントが判明しました。そしてインパール作戦の第33師団に配属されたことは、回想録の一枚の絵で確定できました。
空襲される山岳の陣地の絵。「トン山」とあるのは、地名の「トンザン」ではないかとひらめき、また、牧内兵長はインパール作戦中止決定後の後退戦で補充されたことも判明して、この陣地のそばまで前進したことが分かったのです。そこに追加のスケッチブックの記載も含め、師団の戦史とはまた違った、混乱した戦場で後方支援をしていた部隊の動きの様子を再現できました。
牧内兵長は、最初は仏印に、そしてビルマへ転戦、タイに逃れて敗戦を迎え復員します。仏印時代、ビルマ時代、そしてそこで生活する人たちを活写しています。
全部自腹での出版ですが、デザイナーの事務局長がほとんどボランティア価格で引き受けてくれました。紙など資材の値上がりの直撃を受けましたが、少しでも多くの方が手に取れるよう、1冊2000円の価格設定をしました。新聞に取り上げていただいたこともあって反響は大きく、6日間の会期中に、遠方や日程の問題があるからと通販で注文いただいた方を含め、130冊あまりを売り上げました。特に長野県内の2つの図書館、さらにハワイ大学からの注文もあったことがうれしく思いました。こうして本の形にすることで歴史の一幕を消えないうちに残せたこと、安堵しました。
残部はございますので、興味のある方はⅩのDMかブログの「オーナーへメッセージ」か、いずれかから、お名前ご住所電話番号をご記入いただいてご注文ください。現品先送りで対応させていただきます。
また、来年の展示会にも間違いなく出せると思いますので、そこに来ていただくのも、また良いものがあるかと思います。
凄惨な場面は少ないながら、普通に生活していた人がなんでこんな苦労をさせられるんだろうと感じさせてくれる本であり、戦場となった現地の方がどんな思いだったろうと想像させてくれる本でもあると思います。残せてよかったー正直な思いです。そして亡くなる目前に描かれた兵士の姿は、回想録に比べると輪郭だけのような絵になっていました。そこまで記憶が薄れないと、描くことができなかった心の傷の深さを思うと、戦争は絶対に避けねばと、あらためて感じました。この記録を残せたこと、ご遺族に改めて感謝申し上げます。
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。