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新体制美人は「腰が発達して多産型」ー女性のあるべき姿まで型にはめる戦時下

 戦争が進むと、国は女性像にまで口出ししてきました。庶民がじゃありません。国が、ですよ。国が求める女性像を、紙を押さえた内閣情報局が、無理やり出版物に反映させてきたのが、その一つの現れです。
 下の写真は、左が日中戦争前の1936(昭和11)年11月号、右が太平洋戦争下の1945(昭和20)年1月号の、それぞれ月刊誌主婦之友です。戦時下かどうかの違いはありますが、この変貌ぶりは、すべて情報局の指導によるもので、10年でこんなに変わってしまいました。

 「表紙は勤労女性にしろ」と言われたから勤労女性をテーマにしたら「歯を見せて笑っているのはいけない」とか言って、紙を統制している力を背景に「こんなものが戦力になるか」とか罵声を浴びせ、さんざん干渉を加え、出版社がそれに従って雑誌を継続させるため努力した結果の変化です。
 下の写真は、それぞれ農村の勤労女性を描いたに日中戦争下の1941(昭和16)年6月号(左)と、太平洋戦争下の1943(昭和18)年6月号(右)ですが、無表情への変化が分かります。こんな無表情の顔を大きく描いても魅力がないので、次第に女性の顔を小さく描いていっているのがお判りいただけますでしょうか。

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 そんなご時世、女性の体形にだってだまっちゃいられません。1941(昭和16)年、大政翼賛会国民生活指導部が主催して「新女性美創定研究会」が開かれます。婦人科医、結核療養所長、日本女子音楽体操学校長、文化学院教授、津田英学塾教授、文展審査員の6人(3人女性)が論議百出します。

 同年2月1日付の信濃毎日新聞夕刊の記事から抜粋しますと、
 <美人画家でもある(文展審査員の)伊東深水画伯は「従来の白痴美は断然捨てるべきだ。徳川末期の遊郭美人を中心にした歌麿的美、明治から大正にかけての竹久夢二式美人はいかん。もっと動きのあり迫力のある、それでいて知性に輝く動的な美人こそ…」。

 医師2人も「彫塑美の最もたるものはいずれも腹筋が著しく発達している。ミロのビーナスを見たまえ。あれが医師の立場から言っても理想的タイプだし、腹筋の発達している女性は子供をたくさん産むし皮膚のつやから違う。目の輝きも、すべて動きのある美の根本はまづ腹の筋肉発達いかんにある」とうんちくを傾けて結論にする。

 よって新時代の美人は浮世絵とは反対の、たくましい律動美をもつ、腹筋の発達し、子供をたくさん産む女性ということになるらしい。「ビーナスに着物を着せたら不恰好でしょうね」。誰かが半畳を入れたがこれは国策とあればがまんしましょうとの実用的観点から不問。

 さて、翼賛会では議論はこのくらいでこれからは理想的実物見本を探し、写真宣伝はもちろん、マネキン、映画などで紹介するというが、この新美人制定に拍手する女性の多いことは事実らしい。>
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 それにしても、勝手なことばかり言っていますね。そもそも、出席者は最初からこの取り組みをちゃかしていたのか真面目に考えていたのか、その辺からして疑問を感じます。最後の文など、そんな場の雰囲気を見切ったものかもしれません。
 ただ、大政翼賛会は、臣民を思い通りに動かすことには大真面目だったはずです。体形にまで口出しして、国の多産政策に沿わせようとする強い意志は伝わってきます。ただ、「理想的実物見本」は探せたのでしょうか。

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