敗戦の現実をいかに後世に伝えるかー被害者意識ばかり高じていないか憂える
1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件から途絶えることなく中国で戦闘を続け、一方で1941年12月8日には英米蘭に宣戦布告して太平洋戦争が始まり、東南アジアを主戦場としてさらに戦争を外側に伸ばした結果、あちらで敗れ、こちらで敗れ、現地住民の恨みを買い、そしてポツダム宣言に躊躇している間に原子爆弾を落とされソ連に宣戦布告され、置き去りにされた満州の邦人があらゆる憎しみの的となりー。その終戦に至る過程でどれだけの生命が失われたか。
そんな逡巡を経たうえで、ポツダム宣言受諾が行われたのが1945年8月14日、天皇から臣民に戦争の終結と「国体の護持」が伝えられたのが8月15日。その日の朝も米軍の最期の爆撃があり、満州では戦闘中で、ソ連は千島列島への占領を実行していきます。占守島での日本軍の反撃はソ連軍に大損害を与え、停戦命令で武装解除をしています。そんな場面が、地球儀規模であちこちで進行していて、戦争が終わったという状況は、実は薄かったのです。この背景には、ソ連が戦果を拡張したいという思惑があって引き起こされた問題も多いのが事実です。
正式に降伏調印が行われた9月2日、これは世界でほぼ共通の第二次世界大戦終了の日となっています。1945年9月3日の信濃毎日新聞で見ると、この日に「全軍に無条件降伏を布告」となっており、天皇の「敵対行為」をやめ、降伏文書の条項、政府と大本営の一般命令を履行せよと指示する詔書も9月2日付となっています。
そして1日遅れの9月4日紙面で、戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印式の写真が掲載されています。この写真が世界に転電され、戦争の本当の終結を印象付けています。
こうしてみてくると、昨日の記事の繰り返しになりますが、降伏決定は8月14日、8月15日は国民向け放送、9月2日が正式な降伏の日、ということになります。実際、戦後数年間の信濃毎日を見ますと、戦争を振り返る区切りの日は9月2日となっています。この日にマッカーサー元帥が降伏に当たる声明を発表し、社説が戦争に対する反省などを載せています。
ここで、学研パブリッシング・決定版太平洋戦争⑨より、「なぜ八月一五日が『終戦日』なのか」と題した佐藤卓己氏(京大大学院准教授=2010年当時)の論考を参照します。8月15日を祝うのは韓国の光復節、北朝鮮の解放記念日だけと指摘しています。東南アジア各国では個別に武装解除などがあった日を記録し、フィリピン9月3日、シンガポールやマレーシアは9月2日、タイやミャンマーは9月13日、ロシアは近年9月2日に、中国は9月3日。
15日が日本で記念日となるのは、儀式としての玉音放送が記憶に残りやすかったこと、保守派には天皇の決断を強調できる日であり、進歩派には治安維持法態勢からの解放という意味があり、いずれにも都合が良かったと佐藤氏は指摘しています。そして、お盆に重なる慰霊行事としても都合が良い側面もありました。佐藤氏は、そんな8月15日が出てくる区切りを、朝鮮戦争が始まって独立が見え始めたころで「記憶の綱引き」が始まったと分析します。そして「戦争の記憶の重心は『反省』から『平和』へと移動したといえる。それは『降伏=占領』の記憶を『終戦=平和』に置き換えようとする心性において進められた」と指摘しています。これが9・2降伏より8・15終戦の記念日を定着させたのだと。
1963年8月15日、天皇皇后を迎えて国家行事として第一回目の「全国戦没者追悼式」が開かれています。戦後、既に18年が経過していました。そして、追悼式の実施要項は、閣議決定によるもので、国会で決められたものではありませんでした。遺族会などの内的な働きかけによったということです。ただ、これはあくまで日本だけに通じることであり、佐藤氏はこの内向きの論理が中国、韓国での靖国参拝問題視などに通じるとしています。
確かに、これまで終戦記念日は、加害を与えた反省も含めて慰霊もするという、国内的には対立する問題もあり、保守層に舵を切った自民党内閣は近年、加害のことに触れなくなってきています。
これには、既に加害にかかわった人たちの多くが鬼籍に入っていること、それと並行して加害の歴史を身近な人に教わらず、また学ばない世代の増加と軌を一にしているように思われます。加害経験者がいたころ、それでもマスコミはそうした反省を促す報道をしてきましたが、加害経験者が減り、証言できる人が被害体験の人に重点が移ってきたことも、加害の歴史の忘却に拍車をかけることになったでしょう。それを良いことに、かつては当然であったことが歪曲され、歴史の書き換えを奨める勢力も勢いづき、南京事件や731部隊の人体実験否定などに加え、関東大震災朝鮮人虐殺否定までに広がってきていることは、大変憂慮されることです。
佐藤氏は、現在8月15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」となっているのを分離し、8月15日を「戦没者を追悼する日」、9月2日を「平和を祈念する日」と分割する提案をしています。「民族的伝統の『お盆=追悼』と、政治的記憶の『終戦=祈念』を政教分離する」と。
確かに、これも一つの解決策といえるかもしれません。自分としては、もっとはっきりと8月15日を「戦災国民慰霊の日」という、日本人の慰霊の日として当時の戦争指導の責任を追及、現在にも救済されていない戦争被害者の救済を誓う場とすること。9月2日を「反省と未来の日」として、帝国主義時代から近代への歴史を振り返り、その過程で特に韓国併合など植民地政策への反省、中国大陸への侵略、戦略物資確保のための太平洋戦争といった過去の行動などで多大な犠牲を各国に与えた反省を行うこと。そのうえで、原爆に端を発し現在も続く核の脅威、民族差別や格差、さまざまな紛争の停止への尽力を誓い行動すること。これでこそ、日本が真の独立国となり、国の安全を図る道と考えるが、どうでしょうか。
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