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戦時下長野県の女性の職場進出を新聞連載に見た

 長野県の地方紙、信濃毎日新聞の1943(昭和18)年9月30日付朝刊を入手しました。「戦列の乙女」という連載記事が目に入ったからです。ひゅお大写真がそれで、長野駅の改札風景。改札口が木製なのは、金属回収第一号として撤去されたのが、この改札だったからです。それはそれとして、1943年秋という、太平洋戦争の下り坂の時期に、女性がどこで活躍していた(あるいはさせられていた)かに興味がわき、調べてみました。以下、著作権切れを受け、紙面イメージと記事を紹介していきます。
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初回は「長野貯金支局」

(記事転載)「女ばかりの職場『長野貯金支局』ー白い指先にソロバン玉が踊る。既に戦列に加わった乙女500、全局員の7割余を占める。全県に沸き返る貯蓄奉国の赤心を四ツ玉にのせてきょうまでに積み上げた額はざっと5億3千万円(うち信州分3億余)38名の女の判任官さまを陣頭に男に勝る能率を上げる、計算等はかへって女の方が…と係長さんが女子部隊の肩を持った、計算に記帳に素早い正確な能力をこんなに立派に持つものを『女のやせ腕』とは誰が言った」(転載終了)
 郵便貯金の職場、7割が既に女性に変わっていると。しかし、その能率の上がる腕前を、戦争にならなければ生かせないのが、日本社会の弱点であり、現在の男優位社会でありましょう。

2「長野市役所経済課窓口」

 (記事転載)「(略)長野市役所経済課の窓口は朝から晩まで市民の絶え間がない、みんな切実な願いを持ち込む、だが願いがそっくり叶えられるようだったら統制配給の手数は要らない、さればこそこのさばき、なかなか容易のわざでなし、所詮口数の多い『信州の男』たちではお役いささか勤まり兼ねると決まったか窓口ズラリ決戦娘が顔を揃えた、切符を発行する、事情を聴く、時に品切れで断りを言うものもある、若気の至りや事務的習性で口調が簡素になり過ぎてたまには逆ねじを食ったりイヤ忙しいことである、その忙しさをグワンと受け止めて夥しい窓口事務をテキパキと片づける、決戦娘の瞳には一昔前の甘ったるい感傷は影さえないが、おのがじ『親切丁寧、迅速に』明るく強い決戦下の娘らしさを忘れまいぞ」(転載終了)
 物資が統制されて、病人や赤ちゃんなどにも手が回り兼ねている。その受け止めを押し付けられた彼女たちの、健気さよ。

3「上田市外金城炭鉱」

 (転載開始)「(略)終日黒ダイヤの山に挑んで青春の高鳴りを黒い塊にぶつけている娘たち、ここ上田市外金城炭鉱に働く娘子部隊は『軽易なる事務作業、商業的職場において男子を代替し』の国力強化策の示す線をさらにもう一歩前進してその昔男子にさえ荒仕事とされた炭鉱に女の腕の逞しさを見せている。彼女らの持場は石炭のカロリーを一層高度にする選炭場で、生産戦の第一人者黒ダイヤが鉱山から工場へ出陣する武者化粧の場でもある、戦力増強に直接している女ばかりの職場は剛健で明朗な労働が続けられている」(転載終了)
 環境の悪い切羽では、朝鮮人労働者が多数働いていたことも覚えておきたい。また、選炭作業には後に小学生も加わっていくところもありました。

4「踏切番」

 (転載開始)「朝五時から夜十一時まで十八時間、十五分毎に往復する電車に気を配って遮断機を上げ下ろしする踏切番の仕事は楽ではない。だがしかしそれだけに任務は重大である。ちょっとした心のゆるみからもし電車の通過時間をあやまったならどんな恐ろしい事故が惹起せぬとも計られない。米英撃滅の前線へ戦力増強の工場へと続々出ていった男に代わり長野電鉄全線三十個所の要所は四十八名の女踏切番によってがっちりと固められている。雨が降ろうと風が吹こうと一年三百六十五日、心のネジを引き締めながら旅客と貨物の安着を祈りつつ旗を振る彼女らの姿は頼もしくも尊い」(転載終了)
 長野電鉄は現在も路線を縮小しながら健在。遮断機のない踏切も多いため、今も踏切事故はけっこうある。人手がそれを支えている時代があった歴史の証人でもあります。

5「長野市の前田鉄工所」

 (転載開始)「鉄の焼けるにおい、耳を聾するベルトの響き、旋盤の合間合間を彩って花開く生産陣の華、若やぐ乙女の白い頬が明るく匂う、前田鉄工所(長野市吉田)終日増産必勝の気概に漲り満ちて寸刻の隙も見せない、自分たちのつくるこの品がそのまま米英撃滅のお役に立つのだと思うと娘達の胸は痛い程引き締まる、毛筋一筋の狂いもなく全神経を手許に集め旋盤と取り組む決戦乙女の瞳は弾丸飛雨の戦場で敵陣をにらむ兵士のそれと変わりがない、紅も捨てた、白粉も要らぬ、ただ真っ黒になって兵器をつくるーこの敢闘精神が物をいって作業能率は男子行員に劣らないという、銃後も戦場、男の職場を引き継いで戦力増強の第一線に奮い立った乙女部隊は明るく強い」(転載終了)
 戦前、米国からの輸入品では、工作機械も大きな比重を占めていました。このため、古い工作機械の更新や整備が次第にできなくなり、精神力だけでは作業能率を維持できなくなっていくのです。また、熟練工が必要な工程が多かった日本の製品にも課題がありました。

6「日本無線長野工場」

(転載開始)「居並んだ娘たちはまるで木像のように押し黙っているがその手先だけは実に敏捷な活動を続けている。オブラートよりも薄い片々が何重毎となく重なり合って一枚になっている雲母を一つ一つ丹念に剥いでゆくのが彼女たちの仕事である。剝がされる雲母はサラサラと快適な音律を部屋一杯に奏でている、薄くて硬いためにすぐ破れるが通信機その他に無くてはならぬ大事な資材だ、たとえ一枚でも無駄にはすまいの心構えが自然、彼女らを無言の行に導くのだ。朝八時から夕五時まで、注意と根気の連鎖を要するこの仕事はなかなかに楽ではないが三日も四日も飲まず食わずの労苦を重ねている兵隊さんのことを思えば鈍り始めた手先に力が籠る、戦列の乙女には華やかさはないが若さと健康に張り切るその姿態から銃後の職場を守り抜く不屈の闘魂が迸っている」(転載終了)
 長野日本無線は今も健在。日本無線本社も長野市へ最近移転してきました。表現がいちいち感傷的なのは、この時期の特徴。何しろ、ほかに書けることがないので、誇大な表現を多用して文を作るしかないのでしょう。

7「駅の改札」=最終回。特に駅名は入っていないが、長野駅とみてよいだろう

 (転載開始)「男禁制の職場―駅の改札、集札の仕事も今度彼女達に与えられた新職場だ。一分間に百枚から百五十枚の乗車券に検札の鋏を入れることは頭と技術が同時に働かなければならぬむづかしい仕事である、無言の内に着々と整理する彼女たちの緊張こそ戦に打ち勝ちぬくための姿の一つだ。今廿余名の乙女たちが長野管理部で講習を受けているがいずれも近く各駅に配置される」(転載終了)
 9月23日の新聞報道では、男子の禁止職種(14歳ー40歳)17種が掲載され、女子の生産動員が求められていました。企画は、それを受けてのものでしょう(リンク先参照)。バスや市電の車掌もその一つ。そして、どんどん男が出征するにつれ、女性が駅業務全般を担っていくのです。
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 この日の信濃毎日新聞では、ほかにも農作業を女手だけでとか、良家の娘さんも軍需工場要因へとか、貯蓄への婦人会の活動、婦人動員調査と、女性の進出が各地で一斉に行われていた様子がうかがえます。ただ、良家の娘さんなんかは、簡単な事務作業に就いて、徴用逃れの形ばかりの就職という側面もありました。格差は厳然としてあったのです。

女性の活躍の動きが目立つ紙面

 一方、戦争のためであったとはいえ、せっかく技を身に着けた女性たちも、戦争が終わり男が復員すると職場を追い出されていったのです。結局、調整弁とされたのですが、現代へのきっかけとなっていたならば、無駄ではなかったといえるでしょう。逆に、家を出る力になったなら、何よりです。しかし、お茶くみこそほぼ姿を消したものの、まだまだ男社会の日本では、女性が働きやすく同等の収入を得ていく道が狭いという現実は、牛歩のように思えます。
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 ところで、この日の信濃毎日新聞の1面では、大本営海軍報道部課長が大阪での講演で「要求量生産せば敵米圧迫」と話したようです。それを可能にするのはただ精神力に頼っているところが、決定的な間違いなのですが。

統帥部の要求量の数字をいえば出てくると思うのか

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