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戦時下、村の印刷屋の告白が一番戦況や国力を表すー1939(昭和14)年の新聞投稿

 長野県の地方紙、信濃毎日新聞には「農村雑記」「街雑記」という、比較的長文の、それぞれの生活をしっかり描いた投稿欄があり、常連投稿者も多く、実のところ、市井の人たちによる歴史の記録といった感があります。そのせいか、太平洋戦争開戦翌日にこれらを掲載していた文化面の担当者が逮捕される事件が発生するのですが、ここではそれに至る前の、1939(昭和14)年10月10日付朝刊に掲載された「街雑記 印刷店の世話」を紹介させていただきます。

印刷店の商売といえば、こうしたチラシでした(松本市の百貨店の売り出し)

 「街雑記 印刷店の世話」を書いたのは、長野県塩尻町(現・塩尻市)の印刷業者です。前段に活版印刷の歴史や文化への貢献を書いて、以下の本文に入っていきます。著作権切れでもあり、転載させていただきますと(以下転載)

 「そしていま、何かの言葉を頼りて言えば『現代文化の中枢』ーとして、新聞に、書籍に、雑誌に、或いは商業用に、宣伝用に、まったく人間の生活とは切っても切れない深いつながりを持っているのである。
 この活版印刷術を神聖なる商売として、それによって生活して行く私達活版印刷業者はーもっとも、活版印刷業といってもピンからキリまでで、千人もの労働者を使っている大工場もあるが、ここでは端物専門の、一口に臨時屋ともいはれる田舎街の小印刷店のことであるーその店は小さく、規模は少なりと雖も、そうした社会的にも大きな意義をもっているこの商売を大いに誇りとしているのである。
 それにこの商売は他の商売に比べて、割合に利潤も多く、世の中の景気に左右される心配が少なくて堅実味があるのがなによりである。例えば年末、中元の売り出し景気とか、または各官公衛の年度切り替え期というような確実な書き入れ月もあるし、その他にも、開業、移転、召集、入営、結婚、死亡等々、まるで役場の窓口のようであるが、こうしたあらゆる人間生活は、この印刷店にも登場して、或るいはチラシとなり、またははがきになったりして、私達業者を儲けさしてくれるのである。

戦前のビールの中元用チラシ(参考)

 ところで、この中央線の分岐点たるS町には3軒の活版印刷店があり、筑南(現在の長野県塩尻市と周辺の地域を指す)1町6ケ村を顧客筋にして、各々そんなわけで至極平穏に我が商売の春を謳歌していたのである。
 それが事変(日中戦争)以来ーもっとも昭和12年はそれ程でもなかったが、いろいろな経済統制が強化されてきた昨年(昭和13年)から、各商店の売り出しが制限され、従って我々の商売の大きな書き入れである盆、暮の売り出し景気がなくなってしまって、今更のように田舎街の活版印刷業者を憂鬱にしてしまったのである。

1937(昭和12)年ころの穂高町の年末売り出し広告(参考)

 試みに事変前の昭和11年と、事変勃発の12年と、そして今年の8月の盆の売り出し景気に私の店で印刷した、チラシ枚数、及び注文口数、ならびに印刷代金をかかげてみよう。
 昭和11年8月…5560枚、20口、91円22銭
 昭和12年8月…3520枚、16口、55円35銭
 昭和14年8月…260枚、2口、10円50銭
 以上のように昭和11年と12年とは大した違いはなかったのであるが、今年の8月は××用品雑貨商組合と他村の連名売り出しのチラシとの2口だけで、実に惨たるもので、全くこれでは話にもなにもなったものではないのである。
 1年や2年はこれでもやっていけるかも知れないが、長期建設の今後に於いて、幾年もこのままでいくとしたら、盆、暮の書き入れ月を失った印刷業者は自滅の他はないであろう。それに、最近の紙飢饉は漸く深刻な問題として、我々業者の前途に暗い影を投げるに至った。」(転載終了)

昭和12年ころの松本市「はやしや」の売り出し広告(参考)

 印刷業は、紙以外にもインクなどさまざまな物資を必要とします。たとえ、官公署の注文が入ったところで(そちらのステッカーや標語などは増えていったから)、それに応じるのが1939(昭和14)年にはもう難しくなりつつあったことが分かります。
 このころは物不足から来るインフレをストップさせるための価格等停止令が出る直前のこと。国家総動員法で経済も縛ろうとするのですが、必要なモノがそろわない限り、解消の道はないのです。日中戦争をやめれば済むだけのことを、「兵の血を流した土地を手離せるか!」としがみつく。「領土的野心はない」といいつつ、この言い草で軍に引き回されるのです。こうした目的のない戦争の核心を国会で突いたのが斎藤隆夫代議士の「反軍演説」ですが、それはまたの機会に。いずれにしろ、国力が1939年には底を突いてきたことを表す、貴重な記録といえるでしょう。

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