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戦前の旗の売り込みー国旗からさまざまな団体まで盛んに使用の影響か

 戦時下資料を集めていますと、日章旗や旭日旗をはじめとした「旗」に関連するものがいくつも出てきます。こちらは、表紙が日章旗、裏表紙が旭日旗という、京都の西陣織の店が出した一目で「旗」を連想する栞(カタログ)です。

表紙は日章旗
裏表紙は旭日旗

 カラー刷りで見本も入れた、手が込んだものです。逆に、そこまで力を入れる価値がある証拠のような、需要の多さを感じさせます。

 信州戦争資料センターでも、当時の旗はいくつか収蔵していますが、その中でも一番立派で保存状態も奇跡のように良好なのがこちら、大日本国防婦人会豊科町(現・安曇野市)分会の旗です。日に当たらないよう、たんすで大切に保管しています。いつかお目にかけたいです。房も残っています。

虫食いもなく、奇跡的に当時の様子を残しています

 まあ、旗の中では、一般的には日章旗が一番売れていたでしょう。当時は祭日に出していないと大変目立ちましたから。そこで各地で売り込んでいますが、長野県松本市でも絹国旗を売り込んでいます。こちら、その販促用案内です。

「信州特産絹国旗」が製糸で栄えた当時を偲ばせます。

 そして、裏面。売り文句は国旗だから外国製の材料ではなく、純国産の絹国旗を、というところで、国粋の気分を盛り上げます。

裏面の売り込み文句が国産推し。掲揚方法も伝授。

 こうした旗の需要があれば、関連品があるのも当然。こちら、国旗と旗竿などの収納容器で、下部を回転させると次の掲揚日が出てくるアイデア商品です。

 ただ、戦時下ともなれば、マレー沖海戦など大戦果が報じられると掲げたり、出征兵士の見送りにも必要と、大変多く使われることになります。そこで、コンパクトにたためる日章旗を持ち歩くなどしています。
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 ただ、日章旗、旭日旗とも戦火とともにあったため、日本軍が席巻した地域の人たちの心情からすれば、いずれもいやな思いが残っているでしょう。思い切って意匠を変えることができなかったか、少なくとも軍艦旗が戦前と同じなのはどうよ、という論議はなかったか。そんなことにも、思いはいたしたいものです。

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