マガジンのカバー画像

長野県出身の軍人たちー歴史の一コマとともに

10
長野県出身の軍人も、全国各地と同様、多くの方がおられます。その中から、歴史の一コマとつながる場面で登場した方、さまざまな記録に登場される方、いろんな角度で紹介させていただきつつ、…
運営しているクリエイター

記事一覧

長野県出身の軍人 太平洋戦争を生き残った病院船「氷川丸」初代院長の金井泉・海軍軍…

 病院船は、戦時下に傷病兵や民間人を安全な場所へ運んだりけが人らを治療したりする船で、ど…

長野県松本市から満州に出動した歩兵第50連隊。戦場は命がけであるという、単純だが…

 いつも基本的には戦時下の生活にかかわる話題を中心としていますが、ここでは満州事変当時、…

復員者の気持ちは…敗戦間もなくの長野県巡査採用試験答案より

 太平洋戦争の敗戦から間もない1945(昭和20)年9月28日付の信濃毎日新聞。「青年をいか…

5年越しの約束を果たせた「牧内兵長回想録」出版

 今夏の信州戦争資料センター展示会にお越し下さった方は、実物をご覧いただいたと思いますが…

庶民のデマはだめで、軍のデマ発表は良いのかーガダルカナルの一木清直大佐

 アッツ島守備隊の玉砕について、伝書鳩により最後の様子が伝えられたというデマを流したとし…

激戦中に届いた慰問文、丁寧にまとめた長野県出身の機関長

 こちら、長野県出身で激戦となった1943(昭和18)年のソロモン方面の戦闘を生き抜いた海軍の…

日本海海戦で「Z旗」を命令で掲げたのは、長野県の方でした

 1904(明治37)ー1905(明治38)年にかけて行われた日露戦争で、最後の山場となったのが日本海海戦でした。この1905年5月27日から28日に行われた日本海海戦で、日本軍はロシアのバルチック艦隊を一方的に撃破しています。この日、戦闘開始直前の午後2時前に掲げられたのが「Z旗」で「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」と鼓舞する意味がありました。  上写真の左上に上がっているのがZ旗です。こちらは1938(昭和13)年5月につくられた複製品です。この東郷司令

長野県出身の軍人 一木清直大佐…盧溝橋事件とガダルカナルの落差はなぜか

 1942(昭和17)年8月、米軍の上陸したガダルカナル島へ反撃のため上陸した一木支隊の戦い。…

山国出身の海兵さんの「初めて」体験はさて、何パーセントか?

 長野県の地方紙、信濃毎日新聞の1937(昭和12)年3月6日付朝刊に、1月10日に横須賀海兵団…

長野県出身の軍人・小池勇助軍医少佐(死後中佐)

 軍人といえば、戦場に出たて戦闘する姿をすぐ思い浮かべますが、ここで取り上げる小池勇助軍…