1941年春に発足した東京市大久保国民学校1年生の戦時下の足跡を成績表と身体測定に見るー疎開で食糧事情激悪か
大日本帝国は日中戦争中の1941年4月から、それまでの尋常小学校・尋常高等小学校をそれぞれ国民学校初等科、国民学校高等科に改めます。その国民学校に最初に入学した少年の成績表・身体測定結果を1945(昭和20)年分までまとめて入手しましたので、そこから当時の子どもの姿を追ってみました。
1943年当時の身長118.4センチ、体重19キロは、1939(昭和14)年の全国平均に比べて身長は0.9センチ低いだけですが、体重は平均に比べ3.5キロ少なく、BMIでみると内田君は13