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戦時体制下の教育

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徴兵制を敷き、帝国主義陣営として外征の連続となる明治からの日本では、教育も天皇を軸とした「神の国」と教えられ、わけのわからない「教育勅語」を覚えさせられ、有無を言わさず軍事教練と…
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2024年6月の記事一覧

小学館の学習雑誌、整理され改題され、そして情報局の宣伝が連載され…(´;ω;`)

 小学館の雑誌といえば「小学一年生」「小学二年生」など学年別の雑誌が戦前から発売されてい…

大日本雄弁会講談社の幼年倶楽部に見る、戦時下の過激化ー子どもも竹槍

 大日本雄弁会講談社は「少年倶楽部」や「講談社の絵本」など、子ども向けの本をたくさん発行…

体験や見学で女性たちを受け入れていた軍隊は、やがて女性も戦力として鍛えるようにな…

 こちらの写真は、1935(昭和10)年ごろ、長野県松本市にあった歩兵第50 連隊の射撃場で実弾射…

木曽中等学校の昭和7年度卒業アルバムから、軍事色の写真で時代を感じてみました

 満州事変真っ最中の1932(昭和7)年度の長野県木曽中学校(現・木曽青峰高校)卒業記念アル…

戦時下、国民学校の子どもたちまで、訓練や国債購入を年間の活動って(´;ω;`)ー「自…

 1943(昭和18)年度、太平洋戦争真っ最中の4月、長野県小諸町(現・小諸市)少年団の年間計…

長野商業学校(現・長野県立長野商業高校)の高田の歩兵連隊における「営内宿泊」ー教…

 第一次世界大戦の終了で各国が軍縮の方向に動き始めると、日本でも脅威が薄らいだとして軍縮…

子どもの時から飛行士を育成せよ

 第一次世界大戦後、飛行機の発展から、これからは飛行機の時代として、各刻とも飛行士の養成が急務となりました。日本では1937(昭和12)年ごろから中等学校に対して滑空機の訓練が奨励されるようになりました。表題写真は1942(昭和17)年12月、長野県南安曇農学校(現・南安曇農業高校=安曇野市)にグライダーが到着し、学生が組み立てている場面です。  長野県内では八ケ岳山麓の霧ケ峰高原が全国でも有名な滑空場となっており、1936(昭和11)年9月には第1回全日本グライダー大会も