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ある少女の、ある日の話

(短編・827文字ー約2分)


 七海は、体の半分が無くなってしまったような喪失感に苛まれながら、スーパーに向かって歩いていた。

 母親に頼まれたものを買いに行くのだ。
 いつまでも部屋から出ようとしない七海を、外に出すための口実だとは分かっている。

 三日前にクロが、虹の橋を渡ってしまったのだ。

 七海が子供の頃から、ずっと一緒にいたあの子は、半身といっても良いくらい心が通じ合っていた。

 学校で嫌なことがあって、泣きながら帰った時には、静かに寄り添ってくれた。
 出された宿題がわからなくて、悩んでいる時には、机に飛び乗って応援してくれた。
 寝る時はいつも一緒だった。

 この先もずっと一緒にいられると思っていたのに、なんで──。

 七海の目には、もう何度目かわからない涙が浮かんでいた。
 視界が歪んで、前がよく見えなくなる。
 でも、こんなに人通りの多いところで泣いてしまうのは嫌だ。
 知らない人に声をかけられるかもしれない。

 涙が落ちないように、ぐっと上を向いた。
 何度か瞬きをすると、数粒の涙がこぼれた。
 それを急いで手で拭う。

 すると虹色の光が目に入った。
 それは、たまに見る虹のような橋ではなく、空の途中に敷かれた帯のようだった。

 虹の橋を渡ると言うけれど、虹の橋は両端が急すぎると思っていたのだ。
 猫のくせにジャンプが下手で、おっとりしていたクロは、あんな急傾斜の虹の橋は渡れないかもと心配していた。
 だけど、あれなら大丈夫だ。
 クロは、あの虹の絨毯に乗って、天国へ向かっているのかもしれない。
 

 そう見上げていると、すれ違うカップルの男が

「あれって、環水平アークって言うらしいよ」

と、彼女に知識をひけらかした。
 へー、よく知ってるね、と彼女は鼻にかかったような甘い声で感心していた。

 七海はガッカリした。

 あの美しい光景に名前をつけるなんて、そんな無粋なことをしないでよ。

 名前をつけられてしまった虹の絨毯は、七海の中で幻想的な光景から、科学的な現象に変化してしまった。

 空に浮かぶ虹の物語を諦めて、七海は再びスーパーへ向かって歩き始めた。



 了



この小説は、他投稿サイトでも掲載しています。

カクヨムで長編のファンタジー小説も書いています。
人間として生きることに疲れた主人公が、繭から人が生まれる、不思議な世界に転生したお話です。
https://kakuyomu.jp/works/16817330655453291491

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