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教育現場のワオキャリア | 先生のキャリア

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教育現場の多様なキャリアストーリーを紹介しています。
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2023年3月の記事一覧

子どもとの間に壁をつくらないあり方を大切に。逗子の小学校教員が語る、“企業”での勤務経験と“教員”という仕事への思い

神奈川県にある逗子市立久木小学校で、研究主任として、日々子どもたちの主体的かつ探究的な学びを研究、実践している大窪昌哉さん。 そんな大窪さんは教員になる前の約7年間、一般企業で経理の仕事に従事していたという。そこからなぜ、どのような経緯で教育現場に転職することを決意したのだろうか。 また、企業での経験が自身の教育観にどのような影響を与えているのか。その後の14年間の教員生活で実感していることと合わせて、話を聞いた。 人ともっと関わりたくて、教員の道へ ——大窪さんは教

「二足のわらじ」で教育の世界へ。放課後NPO代表×学園理事長を務める元会社員の、小さな一歩とは?

「野球部みたいに夢中になれる40代、50代を過ごしたいと思っていたんです」 自身が教育業界に関わるきっかけをそう振り返るのは、株式会社丸井に入社後、放課後NPOアフタースクールを立ち上げ、現在は渋谷区教育委員や東京・中野区の新渡戸文化学園の理事長を務める平岩国泰さん。 これまで“民間企業とNPO”、“NPOと学校”といった「二足のわらじ」で活動を続けてきた平岩さんに、NPOを立ち上げた経緯や、学園理事長として学校づくりに懸ける思いについて話を聞きました。 子どもたちの放

市民の暮らしを守る警察官から、子どもの学び場を守り、育む教員へ。「第2の人生」を生きる元・警察官の挑戦

警察官から教員という異色の経歴をお持ちの荒石将司さん。柔らかな語り口の中にも、こちらの背筋が伸びるような芯の強さを感じられるお人柄が印象的です。 警察官になりたいという子どもの頃からの夢を叶え、12年間にわたり大阪府民の暮らしを守るため情熱を注いできた荒石さんが、なぜ教育の世界に身を転じ、教員として「第2の人生」を歩き始めようと思ったのか。 警察官だった頃のまなざしは、教員という職業にどう活きているのか。お話を聞きました。 理想と現実の壁にぶち当たって気づいた「教育」の

大学職員から美術経験ゼロで公立小学校の図工専科に。子どもの「やりたい!」を叶えるクリエイティブ・ラーニングの環境づくり

「教育現場で働いてみたいと思うのであれば、怖がらずに覚悟を決めて飛び込んでみてほしい」と語る山内佑輔さん。 山内さんは、大学職員から美術経験ゼロであるにも関わらず小学校の図工専科教員に転身。「図工のことは何も分からない」というピンチを逆手に取って、さまざまな企業やアーティストとの共創による新しい授業や学びの空間づくりに取り組んできた。 「学校の先生」という枠に収まりきらない取り組みをされている山内さんに、教育現場へ転職して感じたことについて話を聞いた。 学校の垣根を越え

それでも何とか自分にできることはないか?を常に考える。働く意味を問い直し、ベンチャー企業から教員の道を目指した理科教諭の挑戦

「日本の学校と社会を新しい教育で融合できないか」と考え、挑戦し続けているかえつ有明中・高等学校 教諭の深谷新さん。その挑戦の過程では、「人の成長に関わっていきたい」という思いで就職した企業での経験がとても役に立っているそうです。 企業での勤務を経験したからこそ、自分にできることが明らかになり、企業と教育業界をつなぐ挑戦に乗り出した深谷さんのキャリアストーリーを聞きました。 働く意味を問い直し、民間企業から教員の道へ ——深谷さんは、人材派遣のベンチャー企業から転職して公

宇宙飛行士を目指して自衛官になり、今は高校教諭に。挑戦を繰り返した数学科教諭が子どもたちに伝えたいこと

自分が教員になったとして、自信を持って子どもに伝えられる「何か」があるだろうか? 教員を目指す人の中で、この問いに逡巡する人も少なからずいるのではないだろうか。自衛官を経て、現在は公立高校の教員として数学を教える舘弘士さんも、かつてはそんな若者だったという。しかし、教員になるまでに経験した数々の挑戦が、今に活きていると感じることは多々あるようだ。 自衛官から教員の道へキャリアチェンジした異色の経歴を持つ舘さんに、これまで歩んできた道や今の仕事についてお話を伺った。 異色