忘れられない言葉
【注意書き】
この記事は、過激な言葉が記載されておりますので、気になる方はご遠慮ください。
今月から同期は新しい部署に配属され、友人は新しい職場で働き始めました。
私の周りの人たちが新しいスタートを切っている中で、今日私は帰りのバスを乗り過ごし大雨の中帰宅しているところある言葉を思い出しました。
約半年ほど前、付き合っていた人がいました。
彼は、日々仕事が忙しくいつも仕事に追われていました。
たまに、深夜2時くらいまで仕事をしていた日もありました。
へとへとになって帰ってくる彼の姿を見て、何をすべきか正解がわからなくなっていました。
自分もその頃繁忙期で、仕事の悩みも多少あったのですがそれを彼に話せない感じに先の不安を感じていました。
全ては彼のせいではないのだけど、彼も夢に近づけるために今の会社に勤めているからこそ複雑な気持ちがありました。
ある日、ふと彼が「死にたい」と言いました。
たぶんそこまで本気じゃなかった気がしたけど、友達とのノリで話すようなトーンではなかったことは確かでした。
それを聞いた瞬間、自分も彼と同じような気持ちになり親にその言葉を放った過去があります。
好きな人にそれを言われたことがなんだか悲しくて、何も言葉が出なかったです。
職場でいじめられてもちゃんと朝起きて仕事に行った、その彼の背中を見て本当に偉いなと思っていたから。
私はあの後なんて返したか覚えていません。
でも心の中では、私も悩みがあったことから「じゃあ、一緒に死ぬ?」とか思っていたのかもしれません。
私が彼と付き合って一番恐れた共倒れが起きそうな気がしました。
正直、この気持ちのまま付き合うことは自分にとって負担でもあったので時間の許す限り、振り回されようと割り切りました。
好きなことは確実だから。
彼は頑張ってた、でも彼を許し過ぎたくなかった気持ちがほとんどでした。
たぶん、あのことはこの先も忘れない気がします。
親しい人から「死にたい」と言われたらなんて言葉をかけるべきなのか考えました。
そもそも簡単に口に出せるものではないし、出すべきものではないと私は思います。
ちなみに私はその言葉を親に言った時、叱られました。
そして「春はそうは思っても、実際に行動に移せないと思う」と言われました。
その言葉が悔しくて、悲しくて、嫌になって家を飛び出したらしいです。(私は記憶にないです)
死のことなんて今だって四六時中考えている。
特に、自分の将来を考えたとき。
でも、人に言ったところで何も解決しないし相手は私に生きていてほしいからこそ、生きることを勧めるはずです。
そもそもこの気持ちは誰しもが一度は思ったことだと私は思います。
でも最近、大人に悩みを話した時に「それって誰にでもあるし、どこにでもいるからね」と決まって言われます。
この言葉は嫌いです。
そんなのわかっているし、だからそうすればいいのか聞いてるんだよって半ギレで聞いてます(最低)
だから、相手が「死にたい」と言った際に「誰にでもある」という言葉は禁句な気がしてます。
相手の気持ちにもよりますが、完璧にはわかってあげられないので少しでも寄り添えられるように話を深く聞きます。
たぶん私は死のことに対して否定も肯定もしません。
だからその言葉に対して答えはせずに、悩みを中心的に聞きそこの解決策を一緒に見つけるのがベストなのかなと思いました。
それを元彼にはすることができなかったけど、言われたことで考えさせられました。
でもやっぱり、言われるのはつらい。
私も少しづつ、人に悩みを放せられるようにリハビリ中です。
自分で話して、人に言われて気づくこともたくさんあります。
こればかりは難しい問題だから、各々思うことはあるだろうけど、あくまで私の気持ちとして。
重い話にはなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
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