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逃れたく逃れ難い、連環

視覚

寂しいときは、彼女の写真を見るに限る。その笑顔は、黒い雨雲を消し去るかのような爽快感をくれる。次第にその爽快感にハマり、彼女を見る回数が増えていく。いつのまにか彼女の写真だけを集めたお気に入りフォルダができ、いつのまにか彼女の写真が携帯の壁紙になっている。デートの時不意にそれが目に映ると、彼女は恥ずかしそうにしながらも、内心喜んでいるのが丸わかりだった。

聴覚

次第に、写真を見るだけでは寂しさを埋めきれなくなった。最初はスマホを開くたびに晴れやかな気持ちになっていたのが、だんだんと見慣れていき、画面をよく見もせずにパスコード入力をするようになる。彼女を視界に入れるだけでは、孤独を埋めきれなくなってしまった。

写真でダメなら、彼女の声を聞けば寂しさを埋められるのではないか、と思いつく。耳元に直接響く声は、目で見る以上に彼女を近くに感じられる。

そこで、電話をしてみる。夜寝る前に、彼女の声を聞いてみる。最初はそれで寝つきがとても良くなった。だんだんその気持ちよさにはまっていって、電話の回数を増やしてみる。いつのまにか、一人の時にイヤホンをつけて、彼女の声の録音を聞いている。日常に溢れかえる孤独という間隙を、彼女の声が埋めてくれる。

しかし次第に、彼女の声も刺激が失われていった。彼女の声を聞いていることが当たり前になってしまい、だんだんと声だけでは埋めきれない孤独に蝕まれていった。

嗅覚

音声情報は乾ききっている。録音した彼女の声は、結局電気信号によって翻訳されたバーチャルな存在でしかない。発信源の、例えばスマホは、彼女以外の声だって出せる。ニュース番組を聞いていればキャスターの声を出してくるし、ビートルズを聞いていればポール・マッカートニーの声を出してくる。

けど彼女にそんなことはできない。彼女は彼女の声しか出せないし、いくらポールの声真似がうまくても、それはポールの声を真似た彼女の声である。

彼女本人の声を聞けない虚しさに、だんだんと苛まれていくようになった。

録音した声ではリアリティが足りない。もっとリアリティのある彼女がほしい。次第にそう思うようになった。

そうして、彼女の服を家に置くようになった。もちろん彼女にはきちんと断りを入れている。服やシーツは、長時間身につけているものだから、彼女の匂いが染み付いている。寝るときに彼女のパーカーを隣においておくと、その匂いのおかげで心が安らぎ、自分でも驚くほど寝つきが良くなる。

夜は孤独を一番感じる。そんな夜を、彼女の匂いが一緒に過ごしてくれる。

触覚

とうとう匂いにも飽きが来てしまった。どうにも、写真や録音と同じ仕組みで、毎日触れ続けているとだんだんと耐性がついてきてしまうものらしい。初めは安心して眠れていた彼女のパーカーも、最近では何の匂いも感じなくなってしまった。

匂いでも彼女のリアリティを感じられないのであれば、彼女自身に触れ続ける他ないと思った。

初めは、いつものデートで彼女の手を握るようにしたり、体の距離を縮めてみることにした。普段やらないことなので気恥ずかしかったが、次第に慣れてきて快感が勝るようになった。

しかしこれにも飽きてくる。刺激が足りなくなってくる。さらに、彼女はデートに来なくなる。

これではダメだ。彼女が会ってくれなくなったのも、いくら触れても満たされないのも、何か根本的な問題がある。

そろそろ彼女に会えなくなってから1週間が経つ。触覚以上の、何か大きな刺激が欲しくなってきた。

味覚

一人で来る日も来る日も考え続けた結果、問題の根本はこれだと思った。見ても聞いても嗅いでも触れても、寂しさが満たされないのは、彼女が別の人間だからだ。

であれば、ひとつになれば良い。ひとつになれば、この孤独はどこかへ消えて、同じ寂しさを繰り返す毎日に別れを告げられるという、確信に近いものがあった。

そこで、ひとつになるにはどうすれば良いのかを考えた。人間が他の人間と合体するにはどうすれば良いのかを考えた。

食べれば良い。人に限らず動物は、自分とは異なるものを食べて取り込み、生きている。昨日夕飯で食べた焼き鳥は、体の一部を形作っている。昨日までは別の存在だった焼き鳥と、こうして今ひとつになっている。

彼女を食べることにした。食べれば彼女が身体に取り込まれる。一心同体になれる。

最初は抵抗された。抵抗している顔を見ると、少し申し訳なくなった。それでも僕ら2人のためだと言い聞かせて、涙ながらに食べ続けた。食べている最中、彼女の味は、何物にも変え難い刺激と幸福を、僕に与えてくれた。

連環

次第に味にも飽きがきてしまった。同じものを食べ続けるのは結構しんどくて、どんなに大好物でも5日連続になると流石に喉を通らなくなる。小さい頃、おはぎが好きで毎日食べていたら、3日目くらいで気持ち悪くなって吐き出してしまったのを思い出した。

またこれだ。いつも彼女の存在を求めて、寂しさを埋めようとして、強い刺激に埋もれてはその刺激に飽きてしまう。そしてより強い刺激、よりリアリティのある「彼女」を求めてしまう。この連環はいつになったら終わるのだろう。安心して眠りにつけるようになるのはいつになるのだろう。

寝起きの悪い朝を迎える。いつものことだから慣れている。こんな朝も出勤しないといけない。

電車に乗っていつも通り彼女の電話の録音を聞いてみる。喜んでいる時の彼女の声も可愛いが、少し怯えている時の声はもっと可愛い。電話をかけてこちらがいたずらで黙っているときに出す、不安そうな声がたまらない。

しかしそんな声ももう聞き飽きた。今では次の停車駅を知らせる電車のアナウンスと同じ、雑音にしか聞こえない。

「お出口は右側です」

アナウンスが鳴る。この駅では人がたくさん乗り降りする。反対側のドアが開いて、みんなが肩をぶつけながら不満そうに降りていくのが良く見える。あそこで一言「すみません、おります」とかいうだけで、満員電車内幸福度は上がるんじゃないかな、と思う。

ドアのそばで立つ中に一人、どこか疲れた目をした人を見つけた。彼女はホームのスレスレに立ち、電車から降りていく人たちに押し退けられながら、車内に入るタイミングを伺っている。彼女の目線の先には、たった今あいた空席が捉えられている。

車内から人が降りきると、彼女は一直線で席へと向かっていった。しかしもう一つ隣のドアから、大股で一直線に同じ席へと向かう男のサラリーマンがやってくる。

勝ったのはサラリーマン。どうやら隣のドアの方が人が降りきったのが早く、スタートの差を活かして一歩早く席へと辿り着けたようだった。その人は、目の前で席に座るサラリーマンを睨みつけた後、吊革に捕まって何事もなかったようにスマホをいじり出した。平静を装おっているけど、内心ではイライラしているのが容易に想像できる。

大人にもなって、席に座れないことにそこまでむきになるなんて、まるで小さい子供じゃないか。

「可愛いな」と思った。

そう思うと急に、自分の中の不満や不安、感じていた孤独感がどうでも良くなった。

味や匂い、盗聴音でも晴らせなかったできなかった雨雲が、スーっと消えていくような思いがした。もしかしたら、この人が寂しさを埋めてくれるのかもしれない。もしかしたら、この人と一緒になれれば、お互いにこの無意味な満員電車の連続の日々から抜け出せるのかもしれない。苦しくて意味のない連環から、自分を救ってくれるのかもしれない。

彼女をずっと視ていたい、そう考えるようになった。




※フィクションです。

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