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大人になったらできること

大人と子供という区分は、自分にとってかなり根深い問題である。自分の頭の中には、大人の典型例と子供の典型例みたいなのがいて、そいつらは基本的に仲が悪い。というか、頭の中にいる子供が、頭の中にいる大人を毛嫌いしている。

他方で大人の方は子供をどう思ってるかというと、大体の場合見下している。算数のテストで子供が100点をとったとしても、大人は、表面上は誉めているかもしれないけど、内心は、「子供にしては良くできたね」くらいにしか思っていない。見下しているのである。

自分の頭の中にいる子供は、少し前から、それに薄々勘づき始めていた。最近はもう、「俺のことを見下しやがって」と、完全に頭の中の大人への敵意を剥き出しにしている。反抗期である。

もう少し、この子供が大人に対してどう思っているかを考えてみよう。

まず第一に彼は、大人なんて自分と体力的にも知能的にも変わらないし、場合によっては、大人よりも優れた能力を持っている。反抗期なので、大体中高生くらいだろうか。中高生なので、物理や数学なんかを少し覚え出した。そして、最近学んだ物理学や数学においては、平均的な大人をはるかに上回る成績を出せるだろう。さらに、体力面で言えば、明らかに普通の大人なんかよりは優れている。常人の体力なんてのは20代前半〜半ばがピークで、あとはそれまでに培ってっきた筋力や視力や聴力やらを、食い潰しながら緩やかな下降線を辿るだけである。ので、体力で勝負を挑まれたとしても、例えば喧嘩になったとしても、負ける気がしない。こんな感じで、知的・体力的な面では子供の圧勝だ。大人はザコ。

第二に彼は、大人たちは知的にも体力的にも自分より劣っているのにもかかわらず、それを認めず自分たちの持っている力や正当性を躍起になって守ろうとしているのが、許せない。彼らは知的にも体力的にも劣っているのであり、能力主義的な基準に照らせば、下の地位に甘んずるべき存在である。にもかかわらず、自分よりも弱いとされている者たち(子供や弱い大人)に優越感を覚えており、さらにそれを強めようともする。無能な自分が力を持ってしまっていることを悔い改めないばかりか、自分よりも弱い者たちの範囲をさらに広げるべく、さらに強い力を求めようとする。子供からすれば、大人は、能力的に劣っているだけでなく、倫理的にも間違っている。お前たちはさっさと下に降りるべきだろう。

典型的な反抗期である。反抗期はいずれ終わる。いずれ終わり、その頃に抱いた思いや考えは、どこかへ消える。どこかへ消えて、大人になった時の笑いのタネになる。反抗期を笑いにできるのは、過去の自分を相対化できるからである。反抗期ど真ん中なのに、「いや〜あれは俺が子供だったね笑」みたいなことを言い出す奴がいたら、ちょっと心配してあげたほうがいい。そいつは多分多重人格っぽい感じになってる。

大人は能力的に子供よりも劣っている。これが(反抗期の)子供の思想の根幹をなす。仮にこれが正しいとしよう(実際に正しいのだが、仮定としておく)。だとすると、大人は子供よりもできることが少ない、ということになる。能力とは、何かを可能にする力である。知的体力的に子供よりも劣っている大人は、子供よりもできることが少ないか、できたとしてもクオリティが相当低いということになるだろう。

ただこれは、日常でよく聞く意見と反対である。それは、「大人になると子供にはできないことがたくさんできる」という意見である。先の仮定が正しければ、これは矛盾だ!!

大人は子供よりも能力がないが、大人は子供よりも多くのことができる。

矛盾が出てきたということは、「大人は子供よりも能力がない」か「大人になると子供にはできないことがたくさんできる」のどちらかが間違っているということである、と言いたいところだが、流石にここで立ち止まりたい。前者はさっき脳内子供が長々と解説してくれたが、「大人になると子供にはできないことがたくさんできる」は、あまりにもざっくりしすぎている。こっちをもう少し具体的に考えよう。

ここで登場するのが、頭の中の子供に嫌われている、頭の中の大人である。こいつに聞いてみよう。

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脳内子供
「お前、大人になったら何ができるようになった?」

脳内大人
「お前もやっと将来のこと考えるようになったか。教えてやるよ、お前にはまだわかんないだろうけど。

まず酒が飲めるようになった、これが一番だな。どんなに疲れててもこれを飲めばとりあえず全部解決する。酒臭くなるっぽいけど、そんときは酔っ払ってわかんなくなってるからOK。

次に賭け事もできるようになった。ギャンブルやってる時が一番興奮できる。

ああ、SEXを忘れちゃいけねえよ。お前くらいの歳ならやってるやつ腐るほどいんだろうけど、あれはまあガキのお遊びだよな。大人になれば真面目そうな人が平気で浮気してたり、金払えばめちゃくちゃ綺麗な人ともできたり、とにかく子供の真面目な純愛にはないような背徳感があるんだよ。

旅行も結構行けるようになるぜ。子供の頃は行けて国内とかだったのが、海外でパーーーっとお金使えるようになる、仕事があるから行けて1週間とかが限界だけどな。

こんなところじゃねえの、お前にはまだ何が良いのかわかんねえだろうけど、お前も15年くらいすればわかるよ」

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脳内子供にとって、大人になってできることなんてのは、この脳内大人が説明するような、くだらないものでしかない。脳内子供と周りくどい言い方をするのがめんどくさいので、これから脳内子供のことを「僕」と呼ぼう。

僕にとって、大人になるとはこんなにも退屈で、非生産的で、害悪的なものでしかない。大人になってできることなんて、結局、唯一の取り柄であるちょっと金持ってることを活かして、なくてもいいような消費活動に勤しむことでしかない。消費という言葉の対義語は、生産である。つまり、大人が有益な生産活動をしている絵面が、まったく想像できない。

かといって、仮に有益な生産活動に勤しんでいると自負する大人がいたとしたら、それはそれでカスみたいな奴だろう。なぜなら、自分がやってることは世界の役に立っていると素直に思っているようなやつは、頭が悪いか視野が狭いかその両方で、自分の貢献活動(笑)の裏で何が起きているのかに気づいていないか、あえて目を背けているか、そんな非道徳的なことをしている自分のことを開き直って「人間的」という言葉で誤魔化して汚い笑い方をするよな、自分勝手でどうしようもない気持ち悪い存在だからだ。

こういうことをいうと、脳内大人は、鼻で笑ってくる。「まだ社会に出てないやつは何も知らねえな」と。まあウザい。こいつが見下してくるのは、おそらく、僕の年齢か僕に就業経験がないことが理由だろう。だとすれば、こいつに真正面から殴りかかるためには、年齢も就業経験も積んだ状態で、大人への嫌悪をぶちまけ続けていればいい。

人生の中期目標が一つできた。こんなんでいいのか。


よろしければぜひ