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人(を変えること)への興味

世界には、関わりたくない類の人がいる。屈託のない笑顔と根拠なき正義感とを使って、僕を押し潰そうとする人がいる。出会って早々、あるいは少し話しただけで、「お前の考え方は間違っている」と言ってきたり、「でもそれって幸せじゃなくない?」みたいなことを言う奴らがいる。

苦手なタイプである。一番苦手、と言っても良いかもしれない。人類史上最もコンプライアンスが厳しい時代なのに、こういうタイプの人間が根絶されていないのはどう言うことか。暑苦しいし、僕に対してあまりにも無理解だし、何よりも何よりも、そいつが僕に関わることでこれまでの僕の生き方や考え方を捻じ曲げようとしていることに腹が立つ。「お前が思うより複雑な人生送ってんだぞこっちは。そんな簡単に変えられると思うな」と。

このように、押し付けがましい人はウザがられる。しかし押し付けがましい人は、とても人情のある人でもある。自分の行動によって僕を変えようと考えていたり、自分の行動によって僕の人生を良くしようと考えている分、その人は曲がりなりにも僕に関心がある。実際、押し付けがましい人と長く関わると、優しさや自分への真摯な姿勢に感動させられることがある。他人が良く生きてほしいと思えるほどには、押し付けがましい人は人を気遣っているのである。

押し付けがましい人の対局には、そもそも人に興味がない、あるいは、人に助言や意見をすることで、他人を変えたり他人の人生をより良くすることに全く興味がない、という人がいる。僕はその一人である。

結局人は変わらないし、むしろ関わることで反感を買って嫌われることの方が多い。そんな状況でなお、人に興味を持ったり、自分の価値観に沿って人を変えようとするのは、相当な困難である。

そもそも人への興味や人を変えることへの興味が小さい。ここで以下の疑問が湧く。

①なぜ人を変えることに興味がないのか。
②そもそも人を変えることに興味がないとはどういうことなのか。

②の問いについて、今回は考える。またここでは、人の生き方や考え方に影響を与える/変化を起こすということを、「人を変える」と捉える。

人を変えること興味があるならば、その根本は自分志向であるか他人志向であるか、このふた通りであると考えられる。まずは他人志向の関心から、詳しく見ていこう。

他人を変える関心の根本が他人志向であるとは、人を変えることの動機が〈当人の人生が良くなってほしい〉という思いに基づくということである。たとえば、ブラック企業勤務の友人がいて、仕事が原因でとても辛そうにしており、あなたが彼に転職を勧めるとする。転職を勧めるとき、あなたは彼の生き方=仕事を変えることは、彼が幸せな人生を送ることに資すると考えているだろう。この場合、彼を変えようとする関心は他人志向である。なぜなら、この関心の源泉には、〈友人の〉人生が良くなることがあるからである。この場合、彼がより幸せな人生を送れるのであれば、転職を勧めるのがあなたであっても彼の別の友人であっても構わないはずである。つまり、辛い思いをしている当人が幸せになるのであれば、助言をするのがあなただろうが別の人だろうが関係ないということである。このような場合、人を変える関心の根本は他人志向である。

他方で、人を変える関心の根本が自分志向であるとは、人を変える関心が、〈人を変えられる自分が好き〉ということに基づく場合である。あなたがブラック企業勤務の彼に転職を勧める動機が、「私が彼を窮地から救ってやるんだ」という、自分のあり方に関わるものである場合、あなたの人を変える関心は自分志向である。この場合、もし同じ時期に彼が別の友人の優さんに相談していて、優さんがアドバイスしたように転職を決めたとすると、あなたは少なからず残念な思いをすると思われる。なぜなら、彼が幸せになったかどうかは置いておいて、彼の意思決定に関与したのは優さんであり、あなたではなかったからだ。このような場合、あなたの人を変える関心は自分志向である。

このように、人を変える関心には自分志向のものと他人志向のものとがある。端的にいうと、自分志向の関心には、人を変える自分が好きである、ということが源泉としてあり、他人志向の関心には、自分とは別の人の人生がより良くなってほしい、ということが源泉としてある。

人を変えることに関心がないならば、それは人を変えることについての自分志向の関心も他人志向の関心もないということである。言い換えれば、人を変えることに関心がないとは、人を変える(変えられる)自分を好きなわけでもないし、他人の幸せや人生にも特に興味がないということである。そしてどうやらこれが、僕が今ある状態らしい。

人に関心がないという状態が少し具体的になった。ではなぜ、僕は人に関心がないのか。つまり、なぜ僕は人を変えることについて、自分志向の関心もなければ、他人志向の関心もないのか(①の問い)。

これはまた今度考えたい。

よろしければぜひ