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Instagramの楽しみ方

ライフスタイルを見せあう場所として、Instagramは優れたプラットフォームである。そこでは、写真や動画、フィルターなどの様々な機能を使うことで、誰もが自分の生き方をアピールすることができる。

しかし、最近のInstagramの投稿はどうも似通ったものが多い。金曜日はみんなちょっと良いホテルのレストランにいて、3連休になれば誰かしらが東南アジアでエスニック料理を食べている。

誰もが自由自在にライフスタイルを発信できるのに、Instagramの投稿はなぜ似通ったものばかりなのか。気になってしょうがない。

私の考えでは、ライフスタイルにはその人の感性が反映されている。感性は、私たちがどんな服を着てどんなものを食べどんな人と交流するかを選び取る。感性による取捨選択の結果がライフスタイルである。

Instagramでの似通った投稿に対しては、感性が十分に発揮されていない印象を受ける。

おいしいレストランに行くことや綺麗な旅行先にいくことは、誰もが簡単にできるようなことであり、感性を働かせてじっくり行く先を選んでいるようには見えない。私たちが感性を働かせる余裕があれば、Instagramの投稿はもっと個性的で多様なものになるはずである。人の感性は、その人が積み重ねてきた人生によって形作られるものだから。

とはいえ、感性によって行動をじっくり選ぶことは大変である。忙しい現代人には、美しいものを愛でる時間もなければ、自分が何に感動するのかの尺度を見つめなおす余裕もない。

私たちは感性を使っていない。ライフスタイルを発信するための感性を、私たちは十分に使えていない。極端なことを言えば、Instagramに投稿する余裕がない。

その一方で、自分のことを知ってほしいという承認欲求は持ち合わせている。そのため、感性が発揮されていない、薄味の投稿だけが増えていく。栄養が枯れ切った畑で野菜を繰り返し収穫するようなものだ。いくら種まきの回数を増やしても、乾ききった土からは質の悪い作物しか生まれない。

私たちは感性という畑を耕し、肥料をまく必要がある。Instagramの投稿を豊かにするために。美術館に通わなければいけない、というわけではない。自分がどんな感性を持ち合わせているのかを見つめなおすだけでも、感性は磨かれるだろう。どんな料理を美味しいと思い、どんな服に惹かれ、どんな作品に感動するのかを、時間をとって考えるだけで良い。

コントラストのきつい絶景写真や、Tiktokまがいのショート動画があふれているInstagramは、オワコンと言われ始めている。Instagramを復活させるためにはーーInstagramの豊かな体験を復活させるためにはーー各ユーザーが感性を光らせ、個性を輝かせるべきである。

みなさんの、もっと尖った投稿が見たいのです。

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senry
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