見出し画像

2軒目:フラッシュ・ディスク・ランチ

ビルの入り口にある奇抜な看板は下北沢の名物。その階段を上がればワンフロア、360度広がるレコードの山、山、山。日本有数のレコードタウンとして国内外から多くのレコード好きが訪れる下北沢の中でも老舗中の老舗が輸入中古レコード店〈フラッシュ・ディスク・ランチ〉。

ロック、ジャズ、ニューウェーブなどジャンルの幅広さと豊富な品揃えで、有名ミュージシャンも頻繁に訪れるこのお店。出迎えてくれるのは名物店主の椿正雄さん。地元で生まれ育ち、70年代の下北沢を知る椿さんに、当時の思い出やレコード店を始めた経緯などを伺いました。

画像1

僕は近所の代沢5丁目育ちで、中高生時代の70年代から下北沢で遊ぶようになったんだけど、〈ラ・カーニャ〉の岩下さんや、〈イート・ア・ピーチ〉の中居さん、あとは閉店しちゃったけどレストランバーの〈ぐ〉ってお店のヨースケさん。彼らが兄貴分なんです。〈レディジェーン〉の大木さん達の次の世代で、70年代中頃から下北沢でロックバーやライブレストランを始めた人たち。僕はその下っ端の使い走りみたいな感じでしたね(笑)。

あとは矢吹申彦さんというイラストレーターの妹さんがやっていたブルースバー〈ZEM〉がタウンホールの向こうの踏切を渡った所にあったり、ZEMが閉店した後にスタッフだった正井芳幸さんが旧南口の駅前地下で始めた〈STOMP〉、それから今もやっている有名なロックバー〈MOTHER〉とか、そのあたりにもよく通っていましたね。そのあたりで飲んでると、各店のオーナーたちが店閉めてから残ってるお客さんを連れて知り合いの店に飲みに行く…という流れになることがよくあって、連れていってもらう僕らもだんだん行ける店が増えるし、知り合いも増えてみんなが仲良くなってくる…毎日そんな感じでした。今と違って昼間の下北沢は静かなもので、夜の飲み屋文化がメイン。70年代の終わり頃には、そのあたりの飲み屋のマスター4人が下北ウォーター・ビジネス・バンドってのを結成して、『おでん屋サタデナイト』というシングル盤をリリースしているんです。金子マリさんなんかも参加して。ちょうど映画『サタデーナイト・フィーバー』が流行っていて、そのパロディでね。

画像2

レコード屋をやるきっかけは大学時代に遡るんだけど、とりあえず現役で合格して一番学費が安い東京都立大に入ったんです。まだキャンパスが目黒区にあった頃ですよ。で、その頃東横線の都立大学駅前にレコード屋の〈ハンター〉があった。そこは銀座や渋谷など支店がたくさんあって、本部で仕入れたレコードを各店に分けるから都立大のような郊外の店舗だといい盤が残っているわけ。だからいつも駅で降りると〈ハンター〉に寄って、いいレコードがあったら買う。買ったばかりのレコードを眺めていたら当然聴きたくなるでしょ? もう授業なんて出ている場合じゃないから帰っちゃう。結局大学は2年しか行かなかったけど、学校より〈ハンター〉に通った回数の方が間違いなく多かった(笑)。

その頃〈DUN〉という新宿のレコード屋でバイトを始めました。そこは大阪の輸入業者の小売部門で、戦後の輸入レコードの草分け的存在。何せブルー・ノートが海外でのプレスを許可していなかった時代に、それを輸入して日本向けにライナーとかを作っていたような業者なんです。店には学生のバイトが他にも何人かいるんだけど、彼らは店の四隅に万引き防止で突っ立って好きな音楽の話とかしているだけで、全然仕事をしないんですよ。ある日、お客さんに「〇〇のレコードある?」って聞かれた時に確か何枚かあったはず、とコーナーを見たら入っていない。つまり前日のバイトが売れた分を補充してないわけ。それ以来、なるべくたくさんシフトを入れて、僕が毎日在庫表と店の棚のチェックをするようになったんです。最終的には週5日は店にいるようになったので、「もう社員にしてください」と大阪の社長に言ったら「まだ学生だろ?」と返されて。それなら、と学校を辞めて社員になりました(笑)。

社員になってお店でバリバリ働けると思ったら、本社が日本橋にレコード卸しの営業所を作るということでその配属になったんです。最初は嫌だなと思ったけど、卸しを経験したことで売れ筋を把握して、売れそうな物は多めに、そうじゃない物は薄めに仕入れることを学んだ。あとはジャンルごとの大まかな体系も自然と頭に入って来たので、それは店をやるうえでかなり役立っていますね。発注書作りのためにタイピングも覚えたし……。当時はワープロも普及していない時代でしたから。で、2年くらいその会社で働いてから24歳で〈フラッシュ・ディスク・ランチ〉を始めたんです。中古レコード屋で働く経験はしていないから、経営学的なことはよくわかっていなくて、いまだに一生懸命頑張れば売り上げも上がるだろうぐらいしか考えていませんね(笑)。

画像3

最初は階段を上がって右側だけが店のスペースで、左側は大家さんのおばあちゃんが住む普通の住居だったんです。でも25年くらい前におばあちゃんが亡くなって、大家さんはそちら側も取り壊して店舗で貸したいと。ちょうど店が手狭になってきた頃だし、当時は近所にもう一店舗借りていたんだけど行き来が大変だし、いっそ一か所にまとめた方が効率的なので、ワンフロア全部借りることにしました。

今はたまに息子がレコード運びを手伝ってくれる程度で基本的には妻と二人でやっているけど、昔はアルバイトもいて、TOKYO No.1 SOUL SETの川辺ヒロシくんやチボ・マットの羽鳥美保ちゃん、最近では世界的に活躍しているDJ KOCOくんなどミュージシャンになった奴も多いですよ。

画像4

僕のレコードの売り方は、どんなに汚れているジャケット、レコードでも極力きれいにして出すから何かと手間がかかる。だから定休日もほとんど店に来て、仕入れたレコードのクリーニングをしたり、売れてスカスカになった棚の補充をしたりと結構忙しい。休みは月1日ぐらいじゃないかな。

最近は世界的なレコード再評価の流れでよく売れますし、海外からのお客さんも多い。下北沢という土地柄もありますが、特にここ1年くらい若い女の子が熱心に棚を見ていることが増えました。昔は彼氏がレコードを熱心に見ていて傍らで彼女がつまらなそうにしている光景が定番だったけど、今や逆パターンが多いです(笑)。もちろん売れたからには、常に棚を補充するためのストックを絶やさないようにしないと売り上げをキープできません。買い付けは長い付き合いの海外のディーラーに任せていて、彼らがいろんなルートから集めてくれています。

画像5

普通のレコード屋はちょっとの間売れなかったり、かつて流行した盤で何枚もダブついていたり、比較的人気のないジャンルのレコードをすぐ安売りしますけど、そういう事ばかりやっているとそのレコードを本当に欲しがっている人に回らないからあまりやりたくないんです。「よくわからないけど100円だからいいや」と買われていったレコードは、100円なりの聴き方しかされない。だったら、その盤を欲しい人が500円で買ってくれた方がよっぽど価値がある。一番大事なのはお客さんの満足。安ければいいってもんじゃないんです。買いたい人が手を出せる値段で売ることと、僕がお店を維持して生活できる利益を得ること。そのバランスをとるのは何年やっても難しいですよ。

選挙の日に投票済証を提示するとレコードを2割引きする「選挙割」を始めたのは6~7年前かな?おかげで選挙の日にわざわざ遠くから来て買ってくれる人も多いし、若い子で選挙割を使うお客さんも年々増えている。こないだは18歳で初めて投票したという子が来ましたね。こんな時代でも何かできることを、とみんなが積極的な姿勢になるきっかけが作れればいいなと思っています。とにかく、再び若い子がレコードを買いに来る時代になったのが一番嬉しいですよ。

街としての下北沢は今が勝負どころでしょうね。街の開発に関しては喧々諤々があったけど、住民やここで働く人たちの間からいろんな意見が出ている間は健全だと思いますし、その声を尊重する形で新しい街作りも進んでいるんじゃないかな。あとは、新しく出来た施設やお店がすぐにポシャったりしないことを願っています(笑)。街全体が元気なのがやっぱり理想だからね。

画像6

プロフィール:椿 正雄(つばき・まさお)
1958 年生まれ。世田谷区代沢で育ち、1982年から下北沢で輸入中古レコード店〈フラッシュ・ディスク・ランチ〉を営む。国内外から多くのミュージシャンが訪れレコードを買い求めるなど、下北沢の音楽の名所のひとつ。独自にアナログ洗浄液やCDソフトケースを開発し、愛好家に親しまれている。

お店の情報:輸入中古レコード店〈フラッシュ・ディスク・ランチ〉
東京都世田谷区北沢2-12-16 三鈴ビル2階
TEL 03-3414-0421
営業時間 平日12:00~22:00/土祝14:30~22:00(日曜~21:00)
水曜定休日(祝日の場合は営業、翌木曜休)
アナログ洗浄液とCDソフトケースの通販は cdsoftcase.com
セール情報等はツイッター(twitter.com/Flash_Tsubaki)、
Facebook(facebook.com/flashdiscranch)をチェック。

画像7

写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/散歩社


画像8


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?