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3軒目 MOTHER

縄文時代をモチーフにした、その入り口からしてアーティスティック。扉を開けるとさらに濃密な空間が広がっている。古いレンガや瓦、ガラス、タイル、アルミ缶、流木など、すべて廃材から作られたという内装はそれ自体が下北沢の名物である。駅前から坂を下り、餃子の王将の手前の角を曲がったあたりにあるバー&レストラン〈MOTHER〉。開店から48年を迎える老舗酒場の歩んできた道は、オーナー・山崎千鶴子さんと娘である現店長・山崎春奈さんの母子物語でもあった。

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千鶴子さん:オープンは1972年。最初の店は駅の北側の下北沢一番街にあったんです。特に下北沢に深い縁があったわけではないけど、そろそろ仕事しないといけないなと思っていた頃に、何をしようかと考えた時にとりあえず酒と食べ物を出すお店なら食いっぱぐれないだろうと(笑)。それぐらいのイージーな考えで始めちゃいました。

でも当時の下北沢の小さな飲み屋ってみんなそんな感じだったんです。そのかわり、店主はみんな個性的でひと癖ある人たちばっかりでね。それぞれのお店の個性に惹かれて常連のお客さんがついて、どんどんお店同士の横の繋がりも広がって……。儲かりはしなかったけど、そういう関係性が出来たのは楽しかったですよ。

ーーそもそも〈MOTHER〉という店名はビートルズの曲名と、「すべての母に感謝を」という想いから名づけられた。

千鶴子さん:あともうひとつ、私の母から開店資金を借りたのも大きな理由。その一番街の店は木造二階建てで、1988年頃に取り壊しで立ち退いたんだけど、私が入った頃から古い建物でね。お店ではレゲエのレコードをかけて、お酒を飲んで、踊る。でも20人ぐらいが踊るものだから、その度に床がミシミシ言うわけ。みんなで“床が抜けないかな?”なんて笑って。お客さんも私もみんな若かったから、一緒に遊ぶような感覚でした。今でもそういう部分があると思うけど、下北沢は小さなお店が多いから若者が飲むとなると2~3件回遊するの。ウチに来て、次はこの店って。で、最後はおでん屋に行きついて飲み潰れるみたいな。

当時の一番街は、アパートと昔ながらの商店で、飲食店には不向きな場所と言われていた。でもそういう環境のおかげで、逆に駅に近い歓楽街より安心して遊べるというか。私はそこが好きでしたね。

ーー最初の立ち退きの時、娘の春奈さんは2歳。千鶴子さんは〈MOTHER〉を閉めることも考えたという。

千鶴子さん:でもこの子はまだ小さかったし、頑張って稼がないといけなかったから。このお店を商売として真面目にやらなきゃと思い出したのはその頃だったと思います(笑)。

春奈さん:そこでやっと心を入れ替えたんだ(笑)。

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ーー次に移ったのは駅に近い、現在の〈オオゼキ〉の裏側の一角だった。

千鶴子:移転して駅に近くなった分、通りがかりのお客さんも大勢来るようになって、お店の雰囲気がガラッと変わりましたね。確かそこには1988年から97年あたりまでいたのかな?

春奈:そっか、もっと長くいたと思うけど〈オオゼキ〉の裏にいたのは8〜9年間だけなんだね。

千鶴子:今のお店の内装は昔からの友達の筒井さんって人に作ってもらったんだけど、2番目の店も彼にお願いしたんです。その時は大部分を木材で作ってもらってね。あのお店の雰囲気も好きだったな……。でもそこも建物の取り壊しで立ち退きになってしまって、25年位前にやっと今の場所に落ち着いたってわけ。

今の店はご覧の通り縄文時代がモチーフ。すべて廃材を使っていて、ガラスを溶かしてモザイク状にしたり、流木を削ってテーブルや椅子にして。そうやって一番街から始まって、移転もしたけど、ここに落ち着いています。裏に姉妹店の〈mother’s RUIN〉(マザーズルーイン)も作っちゃったし。再開発とか色々あっても、やっぱり下北沢は居心地がいいのよ。

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ーー〈MOTHER〉をホームにして育った春奈さんも、その気持ちは同じである。

春奈:若い頃よくここによく来ていて、今は少し遠くに住んでいるお客さんって結構多いんだけど、たまに下北沢に来ると必ずここに顔を出してくれる。みんな気持ちは離れてないんですよね。

あまり覚えてないけど、小さい頃の私が最初のお店で遊んでいる写真を見ると“ああ、この店の歴史だなあ”って。ここに引っ越した時はもう小学生だったから、カウンターの端に座って母が働くのを見ながら絵を描いていたり、お客さんに遊んでもらったり。しまいにはそのままボックス席で寝ちゃったり(笑)。家にいる時間より長いから、ここがリビングのような落ち着く場所なんです。

ーーとはいえ、春奈さんには〈MOTHER〉を継ぐつもりはなかった。

春奈:私は元々演劇の道に進みたくて、イギリスに留学していたんです。で、色々オーディションも受けたけど結局うまくいかなくて。そんな中でも生活費は稼がないといけないから、向こうのパブで働き始めた。そこで初めて“私こういう仕事に向いてるかも”って思ったんです。それでイギリスから帰国した後に2年くらい六本木のホテルのバーで働いて、カクテルの作り方など基礎を学んで。でもその時点では母の後を継ごうだなんて考えもしなかったんですよ。

それからもう一度海外に行って、バーでアルバイトをしていたんです。その時に向こうの友達に“春奈の家は何をやっているの”って聞かれて、“下北沢って街でバーを2つやっているよ”って答えたら、“家族が日本で同じ仕事をやっているのに、あんたはここで何をやっているの?人に雇われるのではなく、この仕事を愛する家族と一緒にやろうと思わないの?”って怒られて。その時に初めて〈MOTHER〉で働く選択肢が私の中で芽生えました。

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ーー帰国した春奈さんは千鶴子さんに自分の気持ちを伝え、〈MOTHER〉の一員として働き始めた。2011年の事である。

千鶴子:でも最初は春奈がここに入ることに正直複雑な気持ちがありました。本人が夢を追っていたのもあるし……。でも傍から見ていると、彼女はカクテル作りがうまいんですよ。センスがあって、海外も含め色んな店で働いた経験もあって。そういうところで私と違うカラーを出せるなら、お店がもっと楽しくなるかな?と考え直しましたね。

春奈:最初はせっかく一緒にやるならって事で、二人で土日にランチをやっていたよね。でもすごく忙しくて、とてもじゃないけど夜の営業が持たない(笑)。だから1年くらいでランチはやめて、6年前からイギリス人の父(ニール・ストーキーさん)が昼間にここで英会話教室を開いています。

ーー春奈さんは今後、〈MOTHER〉をどんなお店にしていきたいのだろうか。

春奈:今まで母が長年培ってきたものに、私と今のスタッフの個性をプラスすることで、昔ながらの空気感と新しい空気感、どちらも楽しめるお店になればいいなと考えています。私が入って最初に《MORI》って自家製カクテルを作ったんですよ。でもそれはあくまで自分が飲む用だったんですね。そうしたらお客さんから飲みたいって言われて、出してみたら皆さんの評判が上々で。で、メニューに載せたら、一見さんも含めてお客さんがみんなそれを頼むようになった。お酒が有名になってしまったんです(笑)。世界的なガイドブック『ロンリープラネット』にも紹介されて。

でも、その《MORI》のレシピは私しか知らない。母にもスタッフにも教えていないんです。そういう部分で私がここにいる意味はあるし、さっき母が言っていた、お店の成り立ちはいい意味でイージーだったという事にもつながると思うんですよ。

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千鶴子:いち早く禁煙にしたのも春奈の決断よね」

春奈:そう、昔はバーで煙草が吸えないなんて考えられなかったけど、私が煙草が苦手だったのもあるし、その頃お店にいたスタッフが妊娠したのが一番のきっかけ。まずは分煙から始めて、3年前から全面禁煙にしました。昔からのお客さんには“バーで煙草吸えないなんてどういう事?”なんて言われたりもしたけど、禁煙は世界的な流れでもあるし、外国人の方も増えている。そこはやらないといけないなと。たぶん下北沢の飲み屋で完全禁煙にしたのはウチが最初だと思います。

ーーそこで離れていった常連客もいた。その代わり、禁煙なら安心と新しく来てくれるお客さんも増えたという。

春奈:煙草を気にせず、子連れでもバーでお酒を飲めるっていいじゃないですか。あと最近ではビーガンの方向けにドリンクやフードのメニューを用意しています。もちろん伝統も大事だけど、ある部分ではそこに縛られず、今の時代ならではのバーの形を作っていく。それも私の役目なんじゃないかな。

千鶴子:昔の〈MOTHER〉って私も含めて女性スタッフしかいなくて、友が友を呼ぶみたいな感じでアルバイトも女性しか募集してこなかったんです。“下北沢初のガールズバー”なんて言われたりして(笑)。そこを変えたのも春奈だよね。

春奈:そうそう。私が働くようになってスタッフを募集したら、たまたま“男だけどいいですか?”って応募してくれた子がいたんです。その時に自然にそれを受け入れられたんですよね。そのあたりもフレキシブルに、いい意味で間口が広がってもいいんじゃないかって。今ではジュエリーショップオーナーの私の夫もお店を手伝ってくれていますよ。

千鶴子:だからこの店は常にローリングストーン、転がる石で、苔が生えることなく変わっていく。あ、ストーンじゃなくてローリングマザーか(笑)。私も春奈もずっとそんな感じ。それでいいんだと思いますよ。

ーー春奈さんは昨年、娘のビビアンちゃんを出産したばかり。2人のMOTHERに囲まれて、ビビアンちゃんも春奈さんのようにいずれはカウンター席に座り、お客さんと遊ぶようになるのかもしれない。

春奈:臨月ギリギリまでお店に立って、家に帰ったら破水してそのまま病院で産んだんですよ。母に聞いたら“私があなたを産んだ時はお店で破水したんだから”なんて言ってて、そこまで親子で似なくてもいいのにって(笑)。今はまだビビアンの手がかかるから私がお店に出る時間は短いけど、母もまだ元気なのでいろいろとやってくれるし、お客さんもそれを理解してくれている。それはすごく感謝していますね。スタッフもお客さんも、1度ここに来ればファミリーなんです。

ーー最後に、50年近く下北沢の街を見続けてきた千鶴子さんとそこで育った春奈さんに、今の下北沢に思うところを語ってもらった。

千鶴子:再開発で街はきれいになったけど、果たしてきれいになってそれでいいの?って思いはいまだにありますよ。下北沢の良さって路地が入り組んだ、ごちゃごちゃしたいい意味での猥雑さじゃないですか。少なくとも駅前あたりはその感じが失われちゃいましたよね。でも、ウチの店のあたりは昔とそう変わらなくて、初めて来た人にも下北沢らしさを感じてもらえるんじゃないかな。これからまた開発が進むんだろうけど、久しぶりに下北沢を訪れた人が“〈MOTHER〉は変わらないね”と言ってくれるよう、春奈やみんなが頑張って切り盛りしてくれればと思っています

春奈:街が四角くなっちゃいましたよね。物理的なことも、雰囲気も含めて。もちろん時代に合わせて街が変わることはあるんだけど、私は気持ち的にはその波に抗って、この〈MOTHER〉という場所をドン!と構えて守っていきたい。この間も何十年ぶりかで来てくれたお客さんが私の顔を見て、“あれ、あなたチーさん(千鶴子さん)の娘さんでしょ?俺、あなたがこんなに小さい頃から知ってるよ!”なんて言ってくれて。そういう事があるとそんな思いは一層強くなりますね。

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山崎千鶴子(やまざき・ちづこ)さん、山崎春奈(やまざき・はるな)さんと、娘のビビアンちゃん。


バー&レストラン〈MOTHER

東京都世田谷区代沢5-36-14
TEL 03-3421-9519
営業時間 17:00~2:00(ラストオーダー フード1:00、ドリンク1:30)、年中無休(年始除く)

写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/散歩社


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