帰国記念特別寄稿 #2「かけがえのない時間を駆け抜ける!」
1週間が早い。
ほぼ毎日のようにライブが入っているので、朝起きて準備をして会館に入りリハをやり、本番。終わると次の街へ。
ホテルをチェックインアウトを繰り返すので、常にどう荷物をまるめどう荷物を広げるかがポイントになる。
ホテルも人間と一緒で部屋に個性がある。広くても使い勝手の悪い部屋もあれば狭いのに馴染みやすく便利な部屋もある。
この旅で学んだのは、どんな狭くても荷物をうまく収納するコツだ。まずスーツケースをベッドの上に広げ、その日に必要なものを出す。あとはスーツケースに入れたまま部屋の邪魔にならない場所へ置く。必要なものは導線を邪魔しない程度に部屋に分散する。
こうしておくと自分がどういう行動をとっているかがわかって面白い。僕は1日に6、7回は歯を磨くのでバスルームのシンク周りも重要だ。常にスムースに動けるよう、ここはこだわってレイアウトを考える。衣装は会館のムードによって使い分けるので、スーツケースから出さない場合もあるし、逆にいらないものを全部出して部屋に分散してからスーツケースをその日の楽屋入りの荷物入れにすることもある。
ライトの調節の仕方を早い段階でマスターするのも重要だ。操作のわかりにくいボタンもあるけれど、一度つかむと部屋の光を完璧に自分でコントロールできる喜びは意外に大きい。部屋での時間は限られているので。
移動を繰り返しながら自分のステイするホテルが変化する。チェックインとチェックアウトを繰り返す。その間に箱入りの薬やクッキーの箱部分は捨てて少しでも荷物の重量を減らす。減らしても頂き物があるので逆に増える場合もある。だから増えると必ず減らすように心がける。小さいことから。
ツアー中はブルックリンの毎日の感覚をなるだけそのまま変えないようにしているので着るものもカジュアルだ。衣装の帽子が二つあってその入れ物を持たないために頭に2つ重ねて被る。すっぽりハチに被せることが一番帽子をきれいに保つ方法だ。たまに奇異な目で周りの人から見られる。なんで僕を見てるんだろうって思い突如「はっ」と自分の頭の大きさに気がつく。
今回の旅はツアーをやっている最中ほぼ毎日が移動だったのでクリーニングを出すタイミングがなかった。遅くチェックインの場合チェックアウトまでにまず仕上がらないので sony music publishing japan の’にいな’とぼくは常にクイック仕上がりがあるかを確かめる。広島じゃ、
「Senriさん、やっとゆっくり洗濯物を出すことができますね。」
「やった。嬉しいね。」
とニコニコ顔で会話したにいなとぼくがフロントを尋ねると、訓練中のインド人のラーダさんが、
「月曜日に出すから仕上がりは火曜日です。」
と申し訳なさそうに日本流のお辞儀をした。
慌てて曜日を確かめると土曜日だ。日曜を挟むのでお店がやってないのだ。がっかりして中身を箇条書きした紙を破り捨て、ランドリーバッグに詰め込んだ衣類をもう一度引っ張り出す。だから博多のホテルでチェックインの後にクリーニングを出せばチェックアウトの数時間前に仕上がると聞いた時は2人で小躍りした。
「全部で1万1000円になりますけれどいかがいたしましょう?」
「全然構いません。やっちゃってください。」
今これを書きながらさっきおろしたばかりのTシャツの袖に腕を通し、まるで草原をスキップするかのような爽やかな気分でいる。日本への帰国寸前にマンハッタンで見つけた2つのジャケットは今大活躍している。これを着てステージに登場すると「わ」と歓声が上がる、ある意味「出オチ」。でもそれでいい。汗びっしょりになりながらでも着る価値があると言うものだ。
「ねえ、旅で荷物を減らしてるじゃない? このジャケットも2つとも全部が終わったとに綺麗に洗濯してファンの人に思い出として抽選でプレゼントするのはどうだろうね?」
と僕が言うとにいなが、
「それはやめときましょう。何かのお役に立てるチャリテイーならまだしも夢が壊れます。」
「そだねー」
「はい」
そんな話をしながら珍道中は続く。
札幌、東京、神戸、広島と続いて博多までたどり着いた時、一日空いた。オフがあるのはありがたいけれど、逆に疲れが一気に出るのは経験値でわかっているので心の中で戦々恐々とする。なのでこういう貴重なオフには細かく昼寝をしてお風呂に入り少しでもリラックスすることを心がける。
「何食べに行きましょうかね? お誕生日も近いのでお寿司でもいいのかなって思うんですけれど、、、」
並んで晩御飯へと出かけたにいなが、僕にそんな素敵な提案をしてくれた。
「お寿司かあ、いいなあ。でも博多なので屋台に気持ちが固まっちゃってるなあ。」
「でもね、明日が本番でしょう? 万が一(そんなことはないでしょうけれど)体調不良なんてことになったら困るんで、、それにせっかくのお誕生日なのできちんとお祝いしましょうよ。」
「そうか、でもよく考えたらお寿司も生物っちゃあ生物だからなあ、こればっかりは食べてどうなるかは神のみぞ知るだよね。今夜は食べたいものを食べようよ。」
「はい! あたしはなんだか舌がお寿司モードになってます!」
瞳をキラキラさせるにいな。僕は僕で、
「屋台じゃなくて普通のお店でもいいから豚骨ラーメンが食べたいなあ。」
とぶつぶつ。
並んで歩きつつも見る看板は別方向だ。
「あ、ここ美味しそうじゃない? 豚骨ラーメンと餃子?」
振り返ると「キョトン」顔でにいなが、
「いい、で、す、け、ど、、、、、」
と躊躇っている。
「あ、寿司が食べたい?」
「いえ、そう言うわけじゃないです。豚骨も美味しそう。」
「じゃあ、話は早い、ここにしよう。」
「了解です。」
食べ終わり腹ごなしに中洲を散歩する。水面に看板のネオンが浮かび上がり、遊覧のボートが想い想いのイルミネーションをつけてその水面を滑る。40年もエンタメの世界にいて(途中から学生にはなった期間があったけれど)博多の街を知り尽くしたつもりだったのに、全然知らない進化の世界へ迷い込んだ。
「喫煙可能場所? そっか、いいワインバーを見つけたのにタバコがオッケーなんですねえ?」
「ああ、喫煙はきついなあ。もうちょっと別を探してみよう。」
2人は中洲の水面を見下ろしてワインを飲めるバーを探し、探検を続ける。
「あ、ここどうでしょう?」
「もしかしたら水面が見えるのかも?」
重い鉄のドアを開けてみると「ようこそ」半分刈り上げた髪型のハンサムな若いバーテンダーが僕らを招き入れてくれた。目の前には念願だった全面ガラスが広がり中洲の水面を走る船が見える。
「ここ、喫煙可能だけど、雰囲気いいからいいよね?」
「はい!」
数分後、窓に向かった席でワイングラスを傾けながら連日の疲れを癒しツアーへ祝祭の「乾杯」をした。おつまみにレーズンバターとドライフルーツを頼み、2杯目を「もものカクテル」と「甘夏のカクテル」にする。帰り道、いろんな人種の老若男女が入り乱れる繁華街を抜けて路上でパフォームするシンガーソングライターの歌声を聴く。自分で歌詞とメロディを作り、人に伝えるべく演奏するってなんて素敵な行為だろう。でも身を削り書く作業は粘り強く諦めない性格じゃないと続かない。
「明日は11時にチェックアウトで楽屋入りまで3時間空きます。なのでソニーの福岡営業所の応接室を取ってもらってますので、東京の蒔田さん(兵庫で一旦別れた)から届くポストカード200枚にサインを書きましょう。」
「オッケー。ノーワーリーズ。(問題ない)」
開演前だと物理的に辛い時もあるけれど午前中ならばできる。今回の『Class of '88 』の珍しい形のカードなので、ブルー基調の絵にブルーの細文字のマジックで懐かしいデビューの頃のようなサインを入れる。こうやると仕上がりを一枚一枚じっくり楽しめる作業に早変わり。
「蒔田さんには「鬼!」ってメールしときました。笑。」
「返信来た?」
「来世は真っ当な人間になれるように頑張ります、だって。笑。」
「蒔田さんらしい。」
ツアー中は指や手首や腕の痛みを取るために水分を多く摂取する。(解毒して外へ出すのだ。)だから何度もサインが来て、途中席を立ちトイレへ行く。その都度福岡営業所の若い人たちと連れションになる。
そういえば兵庫に来てくれた大阪営業所の女の子も僕のライブを見るのは生まれて初めて、ジャズピアニストとしての認知が入り口ですって言ってたっけ。そこからポップ時代の曲に遡って演奏を聴いて心を動かされたって言ってたな。
あの頃一緒に僕の音楽をプロモーションして頑張ってくれた人たちがだんだん定年になり、ソニーもすっかり若返り、ふとこんなトイレでの連れションで時の流れを痛切に感じて、思わず切なくなるせんちゃん。
ただ音楽は年齢や時代を超えて心を繋ぐものでもある。
今回のツアーは僕にとっても「時空を超えて音の旅をする」時間になった。ジャズを初めて聴いた日のこと、人前で初めて歌った日のこと、ステージから落っこちた日のこと、新幹線が目の前で閉まって駅に取り残された日のこと、いろんなあの日の「こと」が走馬灯のように蘇る。ジャズに再会するのが若すぎなくて良かったのかなとふと今は思う。
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博多の夜は特別な時間になった。
ポップとジャズの間を行ったり来たりしてる、、、、まるで「舞子ビラビーチ」の歌詞のような演奏をしながらいっぱいの発見をする。パンデミック直前に満面の笑みで熱いライブを共有した博多のお客さんたちが今日はあの日よりも突き抜けた笑顔と大きな拍手で僕を迎えてくれる。
イベンターBEAの副代表FUNATSU氏が、
「実はSenriさんがデビューした時、コンベンションがあってビブレホールをやったんです。その時、僕が全部仕切ってたんですよ。」
と打ち明けてくれた。
「え? じゃあ僕たちは40年ぶりの再会ですか?」
「そうなんです。」
僕は一度荷物を下ろして再出発をしたような気持ちになっていた。でも関わってきた人たちは僕が思うより何倍も温かくつながってくれていた。変化を求めて身軽になっても心にある想いはそのままで。
蒔田さんが2年ほど前に「40周年は必ず過去作をジャズにしましょう。」と言った言葉が耳の裏に残っている。いつも迷いながら走り続ける僕を、ずっと静かに遠くから見守り、心で抱きしめ続けてくれる人たちがいる。その人たちがさまざまな人生の中で大江千里の音楽を聴いてくれている。
ホテルの窓から夕方の空を見上げるとまだ夏の色だった。このままずっと見上げ続けているとやがて暗くなり、そこには少しかけた月が見えるのかな? ついさっきfbを見ていたらs d関西(僕の初期の事務所)の担当だった方が亡くなられたことを知る。あの時のチームのうちですでに鬼籍に入られた方が3人。胸に荒ぶる嵐のような感情が巻き起こる。
届くかなあ、最終日の紀尾井ホール、思い残すことのないかけがえのない時間をピアノと共に駆け抜けよう。
文・写真 大江千里 ©︎Senri Oe, PND Records 2023
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