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もしも君が泣くならば

朝、チュンチュンと声がするので、「うるせえな」とか言いながら寝惚け眼で部屋をうろうろしていたら、換気扇に鳥の巣が作られていた・・・。

以前だと家にいる時間が短かったため、もしかしたら気付きもしなかったかもしれない。最近は平日の飲み会も休日の労組任務での出張も無いので、とても気になる。早くなんとかしないと。

休日に家にいる生活にもだいぶ慣れてしまった。何日か前には初めてzoom飲み会にも参加。もともとは「そんなもんで美味い酒が飲めるか!」というアナログ人間丸出しの意見だったのに、しばらくぶりに顔を見て話す大学時代からの友達と近況報告を交えて話すうちにすっかり深夜まで飲んでしまい、しっかり二日酔いになった。

「新しい生活様式」とかいう言葉も出てきたし、最初はコロナ情勢での一時的な状況だと思ってたけど、「完全に元どおりの生活」にはもう戻ることはできないだろうことは、みんな薄々気づいていることと思う。職場でも労働組合でも、在宅ワークにリモート会議が進んでいる。

仕事に関しては、「やっぱり出張のほとんどはリモートで代替できるんだな」と、ずっと思ってたことが明らかになった気がする。ある程度年配の先輩達は、やっぱり直接会って話せないリモート会議は抵抗あるみたいだけど、今後はこの方向でどんどん効率化されていきそう。実際、自分が関係する業務に関しては、リモート会議なんて上等なもんすらすらほとんど無く、「会議は中止、資料はメールで送付」でほとんど事足りている始末。

さて、問題は労働組合や、各種社会運動を担う団体について。自分の所属する労組は、上部団体の決定により、当面(予定では9月の定期大会まで)の会議・集会が中止されている。各地区段階においては、地区組織の判断で来月あたりから少人数に参加者を絞った会議が企画され始めているが、今後の情勢によっては延期や中止も十分ありえる。

労働運動・政治運動などの社会運動や、町おこしなどの地域活動は、本来、仕事の延長ではできないと思う。効率的なものに背を向けて、非効率に、ひとつひとつの仲間の声や地域の現状を拾い集めること、信頼関係を築いていくことそれ自体が「組織の強化」「仲間づくり」に大切なプロセスなので、仕事と考えて「効率的にサクサク」という価値観ではとてもやっていけない。

労働組合でよく言われる「団結」を「効率的」に作ることは出来ない。「信頼関係」と言い替えてもいいけど、一緒に課題解決のために行動した、とか、意見が違っても真摯に討論した、など、一緒に過ごした時間そのものが意味を持つと思う。

自分も「現場に足を運ぶ」「仲間の声から運動を作る」ことを大事にして(至らないことばっかりだけど)いままでやってきたので、リモートで運動を進めることには非常に抵抗がある。上手くできる人もいると思うけど、事務的な会議以上のことはLINEやzoomじゃやって行ける気がしない。

先日、長く一緒に運動してきた仲間の一人から、「労働組合も、学習活動もやってもやっても無力さしか感じないし、結婚して子供も出来たのでこれからは家庭と仕事に集中したい」と連絡があり、それまでかなり熱心に取り組んできたいくつかの運動から距離を置くことになった。それまで、毎月のように顔を合わせて話し合っていたので、「不安や困ったことがあったらもっと早く言ってくれたら良かったのに・・・」とも思ったけど、時間を置いて考えたら、やっぱり「話づらさ」や、ある種の申し訳なさみたいなものがあって、結局自分の中で最終的な段階になるまで話をすることが出来なかったんだろうとも思う。

仲間の声を大事にする、と思いながらやってきたけど、こういうことになって、反省や落ち込む気持ちが強い今日この頃。丁寧にやってるつもりでも人の気持ちって難しいもんだよな、と痛感している。

これからのウィズコロナ下での運動の進め方も、正解はわからないけど、リモートも取り入れつつ、アナログな手法も大事にしながら、ひとつひとつの現象や声と向き合っていきたい。



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