残り時間を告げられるということ-Ⅱ
今回も告知について書いていますので、お辛い状況の方は気持ちが落ちついているときにご覧ください。
父から検査結果を聞いた日、外来でガンと診断された日、入院してすぐ家族に告知、そして今回は父自身に…
私には4回目の告知でした。
1.余命1ヶ月
前日、家族だけ呼ばれて余命2、3ヶ月~半年と告げられました。
父は病室に戻って来た私たちに「なんや3人でコソコソと。隠しごとはあかんで。」と苦笑いを浮かべて言いました。
そして翌日、再び叔母と夫と私は病院に向かい、父と4人で前日と同じ部屋に入りました。
奥に主治医の先生2人、その前に父と叔母、その後ろに私と夫が座り、出入り口近くに看護師さんがいました。
父は、これから原発のガンを見つけるための検査をして治療する気満々の様子で、机の上にノートを開いて手にボールペンを持っていました。
私の心の中は恐怖と覚悟が格闘していました。
では… と医師が話し始めました。
実はもう原発はわかっていること、このガンに効く治療薬がないこと、原発が臓器ではなく大きな血管なので手術で取り除けないこと、放射線治療できる場所ではないこと、すでに臓器に点々と転移しているため手術をしても見込みがないことなど。
つまり手の施しようがないということ・・・
言葉が重なるにつれ、父の気がしぼんでいくのを感じました。
だんだんと父の背中が小さくなっていくようでした。
そして…
絞り出すような声で父が言葉を吐きました。
「治療しようがないって… いったいどういうことですか…」
主治医のお二人は「…すみません」と父に頭を下げてくれました。
…先生のせいじゃないのに。
医師や看護師にとって、自分たちの非力さを痛感するとても辛い説明です。
どのように話すべきか、お二人が十分に考えて臨んでくれたのを感じました。
しばらく沈黙の後、父が再び声を絞り出すように尋ねました。
「わしは、あとどれくらい生きれるんですか…」
医師は一瞬の間をおいて、父の目を見、覚悟を決めたようでした。
「…あと、1ヶ月です。」
・・・
わずか数秒…
父は開いていたノートを閉じ、その上にボールペンを置いた。
そして掛けていた眼鏡を机の上に投げ出し、うつむいた。
「どうか、苦しくないようにだけ頼みます…」
最後の方は嗚咽と混じった。
2.覚悟
その後、これから起こりうることについての話になった。
原発のガン細胞が大きくなったらどういう症状が現れるか、転移したガンが大きくなったらどういう症状が現れるか、そしてその対処方法について。
昨日私たちに「2、3ヶ月~半年」と言ったのに、父には「1ヶ月」と告げた意味を私は考えていた。
おそらく、父が実際に動ける時間を伝えてくれたんだろうと。
ひと月の間にできる限りのことをしてください、と伝えてくれたんだと思い、有り難いと思った。
一通りの説明が終わったが、私たちは何も返す言葉がなかった。
可能性が無い、未来が無いというのは何と無情なのか。
父は私たちの方を振り返った。
「知ってたんか?」と。
3人はコクンと頷き、隣に座っている叔母が「きのう…」と下を向いたままつぶやくと、
父は「辛かったやろう」と私たちの顔を見て、5歳上の姉の背中に手を当てた。
またもや父は周囲の心配をする。
この期に及んでも。
もしかしたら、どうしようもない自分を誤魔化そうとしているのかもしれない。
本当は大泣きしたいだろう、子供のように足をバタつかせて叫んだっていい。
見えない敵に怒り狂ってもおかしくない状況に、父は耐えようとしている…
そんな父を見ていて、私が覚悟しないわけにいかないと思った。
このとき、決めた。
(私が代弁者になろう)と。
父の世代はとくに医療信仰が強く、お医者様は神様のように感じています。
看護師にはいろいろ言っても、お医者さんが来た途端、態度が変わって何事もないかのように振る舞います。
それは時代的に仕方のないことかもしれませんが、本来、医師と患者は対等であるべきで、看護師は両者の中間に立つべきと思います。
患者が自分自身で意志を伝えるのがいちばんいいけれども、おそらく父も言えないタイプだろう。
状態が悪くなると余計に言えなくなる。
いつの間にか父が望まない状態になってしまわないように…
私が父の代弁者になろうと決めた。
最期に託された小さな願い
「どうか… 苦しくないようにだけ頼みます」
父の声が頭の中でこだましていた。
3.人生の整理
父はほんの一週間ほど前まで無症状で、嘱託として会社で働いていました。
今も微熱と倦怠感だけで病院の食事も全部食べていて、まさか自分が1ヶ月後に死ぬとは到底思えないのは想像に容易いです。
父をひとりにしておけないと思いました。
「パパ、とりあえず一緒に家に帰ろう。外泊届出してるから」
父は一人になりたかったかもしれないが、私は強行的に外泊を促した。
「そやそや、一緒に帰ろ」と叔母も促した。
父は迷っていたが、おそらく姉の心境を考えたのだろう。
「そうか、みーちゃん(叔母)も泊まるんか。病院おってもやることなさそうやしな、ほな帰ろか」と言ってくれたのでホッとした。
4人で家にいても仕方がないことはわかっていたが、私も夫も仕事の休みをとって一緒に家にいた。
みな、父を放っておけない。
かといって、どこかに出かけるような心境でもなく、私たちは不安を持て余していた。
時折、父の部屋からゴソゴソしている音が聞こえる。
それぞれ過ごしながら、みな、父の動きに耳を澄ましていた。
ところが食事のときなどに呼びに行くと、父はたいていベッドで横になりヘッドホンで音楽を聴いていた。
静かに目を閉じている父は、寝ているのか起きているのかわからない。
父の部屋にはレコードやMDやCDが数えきれないほどある。
晩年は楽しんでいたので、登山用品や楽器、社交ダンスの服や靴、本も多く、整理したいものが沢山あっただろうに。
すべてを諦めよー、と告げられている孤児のように父は静かだった。
数年前の誕生日に10年日記帳をプレゼントしたことがあった。
何ページか書いているのを見たことがあったが、父が逝った後はなくなっていた。
子供の頃、私はよくサンタさんに折り紙でつくった輪っかや、手紙をプレゼントしていた。
私に見つかるとマズいので会社の引き出しに全部溜めてあると、大人になってから聞いたことがあった。
が、それらも見当たらなかった。
他に登山の記録や書類や本など父の記録になりそうなものは、写真と住所録を残してほとんど処分されていた。
誰にも知られることなく消去された過去が沢山あった。
父は一人でどれほど泣いただろうか。
見当もつかない。
70年の人生を整理するのに、1ヶ月という時間はあまりにも短かすぎた。
4.永遠とは
この話は17年前のことです。
その頃はまだ、告知するかしないかが問題でした。
今は特別な理由がないかぎり、告知することが普通になってきています。
本人は治すつもりで辛い症状と闘っているのに悪化の一途をたどっていれば、周囲に不信感を募らせてしまいます。
なので可能なかぎり告知をした方がいいと私も思います。
家族を信じられない、医療者を信じられない、自分のカラダを信じられない状態で最期の時を迎えてしまうのは、とても悲しいことー。
死を排除することは、不信感や恐怖をいっぱい抱えて人生を終えることになり、懸命に生きて来た「生」そのものを否定してしまうことになり兼ねない…と思います。
とはいえ、“命の残り時間”を告げられることは、懸命に生きている私たちにとって耐え難い苦痛です。
父には、気持ちの整理も、思い出の整理も、仕事の整理をする時間も与えられなかった。
毎年100万人以上の人が、こうした瀬戸際に立たされているという現状ー
これは私個人の考えですが…
何か意味があるような気がします。
身体が無言のメッセージを送ってくれているとすれば、今のこの厳しい状況は、私たち人類が何か気づかねばならないことがあるような気がしてなりません。
身体は、最初は小さな小さな違和感で信号を送ってきます。
もし自分本体が気づかなければ症状として送り、それでも気づかなければ、さらに強い症状で送り続けます。
(そうじゃないよ)(そっちじゃないよ)(早く気づいて)と訴えるのです。
それでも気づかなければ病気として現れ、自分自身と向き合うべく機会をつくろうとします。
"入院”という状態はいったん社会生活から隔離し、家族からも離れて、自分自身と対峙する時間を与えられているのではなかろうかと思います。
それでも“本来の自分”と向き合わず、仮面で生き続けた末は・・・
身体は“魂(たましい)”であり、永遠であることから、自らの死をも厭わない存在です。
よって、さらなる強いメッセージで自分本体に気づきと成長を促すのだろうと思います。
少し強い内容になっていたらゴメンなさい。
前回の記事と合わせてご覧になっていただけると有難いです。
もしも、もしも、人類を創った大いなる存在があって。
人類に何か期待しているとすれば・・・
循環し永遠に繰り返される中で、私たちは何に気づくべきなのでしょうか。
そこに気づくことが、現状を変えていくような気がします。
5.現代人の忘れもの
身体は魂(たましい)であり、永遠であると書きました。
少し魂の話に触れてみたいと思います。
私は看護師ですが、7年ほど前に病院勤務を引退して『健康』を目的として活動しています。
とくにコミュニケーション・心理学の講師を13年しているため、通常病院にいる看護師とは違う考えをしていると思います。
病院は対症療法です。
なので現在起こっていることだけを切り取るようにして診ます。
ところが健康を考える場合は、ずーっと過去にさかのぼる必要があります。
心の状態を含め、社会、文化、歴史、磁場などの影響を受け、すべての事柄が関わっています。
そして私たちのカラダをつくっている組成プログラムはDNAにあり、DNAは両親から受け継いでいます。
両親はその両親から、その両親はさらなる両親から受け継いでおり、ずっとさかのぼれば、人類発生の起源から私たちの身体組成プログラムは引き継がれているのです。
ですが私たちは、どれくらい両親のことを知っているでしょうか?
どれくらい先祖に意識があるでしょうか?
過去の日本人が創り上げてきた文化、そして歴史をどれくらい知っているでしょうか?
もしかしたら誰かの意図によって、強制的に過去を断ち切られたのかもしれません。
過去を断ち切られると、自ずと未来をも失います。
それを取り戻すのは、私たち自身でしかないと思います。
真実を知らされず、あるいは誰にも知られずに念を抱えたままの魂は、ネガティブなエネルギーがたくさん詰まっているため重くなります。
よって天に昇華できず、ずっとこの世を彷徨い続けます。
そうしたことが重苦しい磁場をつくり、現代に影響しているのかもしれないなぁと思うのです。
日本が失ったものは何でしょうか。
私らしい死に方をするために取り戻さなくてはならないような気がします。
もやもやした気持ち、話してみませんか。
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