大応援が戻った事を喜びたい

第105回全国高校野球選手権。
神奈川の慶応高校の優勝で幕を閉じた。

残念ながら、決勝戦を含めて仕事のため観戦できたのは休日の数試合だったが、今年も球児の熱い想いに泣きそうになったり泣いたりした。高校球児の皆さんにはこの経験を誇りに、残りの人生を歩んでほしいと思う。

さて、決勝戦後のSNSを眺めていると、試合の内容もさることながら「応援」に注目が集まっていた。
主に、優勝した慶応高校アルプスの大応援団について。「圧倒された」「団結が凄い」「さすが慶応」などポジティブな意見とともに「仙台育英にアウェー感がありすぎる」「あそこまでやるのは卑怯」「大音量がプレーに支障をきたしたのでは」という批判的なものも散見され、双方の立場から議論が交わされていた。

後から映像を見たが、私は1人の野球ファン、高校野球ファン、スポーツファンとして、今回の応援に批判的な声がある事が非常に悲しい。

人それぞれ意見はあるので仕方ないが、悲しくてたまらない。


自分の好きなチーム(高校)を精一杯応援して、「卑怯」「不平等」と言われるのはおかしい。慶応の応援は素晴らしかった(勿論慶応の選手も、仙台育英の選手も応援も素晴らしい)。応援も、スポーツの一要素ではないのだろうか。どんなスポーツにおいても、応援をまったくの平等にするのは不可能だし、そんなスポーツは面白くないと思うのだ。

例えば、3月のWBC。
予選ラウンドが開催された東京ドームには日本の大応援団がいた。決勝ラウンドの米国では近隣国へ大声援があった。
だが、それを「不平等」と批判した声は殆どなかったと記憶している。我々はスポーツの素晴らしさを語るべきで、応援の音量を議論するのは不毛なのだ。

確かに、高校生の部活とプロスポーツという違いもある。プレーに支障をきたすという声は理解できないではない。

しかし思い出して欲しい。
昨年まで、その高校生達はどのような環境で試合をさせられていただろう。
声出し禁止、無観客、大会自体の中止もあった。私達大人が経験したことのない苦しい青春を強いられてきたのである。

やっとの思いで実現した「大応援」の中での部活動。
その声援を精一杯受け取り、選手達は溌剌とプレーしていたではないか。その応援が批判されるべきではない。
選手が言うならともかく、エアコンの効いた部屋のテレビの前で寝そべって見ていた大人がとやかくいう問題ではないと思う。


野球好きとしては
今大会の選手のプレー、久々に戻ってきたスタンドの大声援に大いに拍手を送りたい。

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