見出し画像

高崎澄香の履歴書│学生編

そういえば自己紹介noteがない。
高崎さんって実はよく分からないと言われることが増えたので、幼少期~大学時代について、赤裸々に書くことにしました。

「普通」に悩む人の力になりたいとHPに書いているのですが、
そもそもあなたが普通じゃないから…と言われることがあるので、過去の自分を知っていただけたらと思います。

先に申し上げておきますと、淡々としていて、暗いです(笑)

1994年3月23日生まれ
東京都足立区出身 北園高校→獨協大学
ストレングスファインダー:学習欲 収集心 着想 戦略性 目標志向
MBTI:ENTP

幼少期

私の幼少期は、人見知りで、背が小さくて、身体が弱く、賢くもなく…
幼稚園のお弁当が全部食べれずに、毎日先生に怒られるような子。

小学校に入る直前、1か月ほど入院したことがある。
病院食がまずくて、吐き気がしてトイレにこもり、看護師さんを無視して困らせた。
公衆電話で母に報告の電話をかけ、1日中ポケモンか折り紙、唯一の友達から送られてきたカセットテープに入ったメッセージを聞きながら寝る。
今思い出すだけでも、本当に根暗で内弁慶な子供でした。

物心ついた頃から人間観察が癖になり、人の感情が見えてしまいすぎて、
心を許せる人は結局ほとんどできない。
母が仕事に出ている間、よく近所の父方の祖母の家で過ごしていました。
祖母は仕立て屋で、小さな身体で工業用ミシンを扱っていた。

自由奔放な祖父の分まで働き
そこらじゅうに知り合いがいて
何でも0からつくってしまう。
優しく強く人望のある祖母に、私は小さい頃から憧れていました。

小学3年生の頃。
祖母の家で留守番中、祖母が出先で昏睡状態になり、亡くなった。
祖母のお葬式には一般人とは思えないほどの人が集まった。
あまりの時間の長さに途中で飽きてしまって、弟を連れて外に出た。
よく「お葬式に○○人集まってくれる人になる」という
目標を立てている方にお会いするとこの情景を思い出す。

亡くなったのは父方の祖母。火葬場で、母が泣き崩れた。
私は母の背中をさすりながら、一緒にむせび泣いたのを覚えている。
何となく、私が母を守らないといけないんだという使命が沸騰した。
急に向上心が芽生えて、強くならなければ、と。

当時算数ができなかったので公文に通いたいとお願いし、
英語を勉強したくて、通信教育やらせてもらったり。
身体も強くなりたいなと思って小学校のバレーボールチームに入ったり、
動物好きだったこともあるが、家族仲が良くなるかも?と猫を拾ってきた。

画像1
懐かしのビーゴ。ベネッセ系の面白いサービスだった…

学校生活は嫌な事もたくさんあったけど、
スタート位置が低かったのもあって成果が出やすく、自立できた気がした。
小学校を卒業する頃には背も伸びて、
いわゆる「運動も勉強もできる明るい子」まで辿り着いた。
芸術センスのある母、気の合う容姿の整った弟、
頭が良くて心優しい友達ができて、鼻が高かった。

ただ、自分の本音や好きな事を話す機会はありませんでした。

思い出したくない中学時代

使命感が消えぬままモチベーションを中学まで持っていくことに。
委員会に入ったり部活の副部長をしてみたり、
クラスの中心のグループに属していました。
勉強は特に何もせず、小学校時代の知識貯金だけでやりくり。

元々は根暗な自分。
家に帰ればネット三昧、その他アニメ・漫画・音楽・本・ものづくり。
キラキラしたテニス部ではしゃいでいるのに
帰ったらネットで小説を書いているような子でした。
インドアでオタク気質な自分と
学校の自分を切り替えるため、複数の顔を持つことに。

「友達をつくろう」と「どうでもいい」が行ったり来たり。
「一生懸命」と「どうでもいい」が行ったり来たり。
結果中学時代はテンションの高い自分を演じ、
中途半端に”自分迷子”になりました。
友達と何を話していたのか、ほとんど思い出せません。
25歳の時に読んだ10年後の自分へ書いた手紙は、
とても自分とは思えませんでした。

何となく起業したいと思ったのがこの頃で、
父親との考え方の違いに悩むようになりました。

拾った猫はちゃんと大きくなりました

どうしようもなく葛藤した高校時代

中途半端からの脱却を目指して、
制服も校則もない、地元から離れた都立校へ入学。

自由な環境で自由に生きたい
初めて自分の強い意志を持った選択が高校選びでした。

人も環境も良い。何でもできる。
派手な髪型と服装に濃い化粧で、好きな事をできるだけやろうとしました。

そんな私を、父は許しません。
父は理系以外は無能だと本気で思っていたし、
こだわりの強い私と性格が合わない。
月に1度家に帰ってくる父と、度重なる衝突で心が疲弊しました。
母が悩む姿を見たくなかったので、折れて全てが消化不良に。
結局何もやる気が起きなくなり、成績はクラスでビリになることも。
いつしか全てのことに自信をなくすようになりました。

高校入学当初は服を作って売るWEBサイトを立ち上げようと考えていたのですが、
やりたいことを、やりたいと言えない。できない。突き抜けない。
何にも一生懸命に打ち込めなくて、ただ暴れていたのかもしれません。

高校では本当に信じられない事件がたくさん起きたにもかかわらず、
なかなか変わらない自分に葛藤しました。

昔から憧れていた服飾系の道に進むことも諦めて、
普通の大学に進学しようと思い、落ちこぼれでも面倒を見てくれる塾へ。
中学1年生のテキストからやり直して
初めて、自分が努力したのは小学校が最後だったんだなと気づきました。

生き方を抜本的に見直した大学時代

受験は失敗したのですが、家から一番近い大学に通えて嬉しかった。
大学では「根暗で、そのままの自分」で行こうと決めて、
ちょっとだけ楽になりました。
いわゆる意識高い系のグループでも、
お酒を飲んで騒いでいる子といても違和感がないのが、心地よかった。

服飾サークルやコスプレ衣装づくりで創作意欲は何とかなり、
勉強する意味を塾講師として学生に伝えられて、
自分である程度昇華できるように。
働いていた塾に来る子は学校に行けていない子も多く、
何とかしたい気持ちでめちゃくちゃ勉強した。
講師も本気度の高い仲間ばかりで、
朝まで生徒の事を話している時間が好きでした。

就活前に、1人で生きれる強さを求めて
海外へバックパッカー的なことをしておこうと思い立ち
最初に行ったハンガリーの日本人宿。
あぁこんな世界があるんだと衝撃を受けて、
変わらず起業したい気持ちの再熱と
自分の弱さと向き合う必要性に気づきました。

起業するなら、と思ってまずは家入一真さんのこの本を読みました。
使ってる言葉が違いすぎて、まずは一度社会人になろうと決めました(笑)

就活は周りの子は手堅い職業を選ぶ中で、どこもしっくりこなかった。
画一的な正解で生きることや世の中の当たり前に対して、
やっと違和感を言語化できたのがこの頃。

もしかすると私みたいにアイデンティティ迷子になっている人って
結構いるんじゃないか?

たまたま入った大学のキャリアセンターで出会った方に、
あなたの仕事ができるようになるにはどんな会社に入社すればいいですか?
と聞いたことがきっかけで、「人材紹介」の仕事を知りました。

これが潮目だったなと、今でも思い返します。

ハンガリーは特別な思い出

ざっと書いたんですけど長い…
ものすごく時間がかかりました。そして恥ずかしい。
社会人編はまた書きます。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!

▼せんのみなとHP

▼サービス説明会実施中 毎週火曜・日曜20:30~21:00

▼リンク一覧


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?