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【掘り返し日記じゃない】読書感想話 「あの世からのことづて」


[あの世からのことづて/松谷みよ子]
友人から借りた本三冊目の感想。

 ジャンルとしてはエッセイだそうです。エッセイってこういうのもありなんだ?と思った。読書って型から飛び出すみたいななんでもあり世界があって読み始めるといろんなリズムに乗れるので、やっぱ面白…になったな。読書ってジャズ。

松谷さんが集めた自分に近しい人から聞いた死にまつわる不思議な話のまとめ、といった感じ。
私の遠野物語という副題がついています。

 導入で、一つの話には必ず連れがある。同じ型の話が、北と南にあったりする。普遍性が点と点ではなく、線として更に言えば面として証明できれば……と松谷さんは数々の蒐集した幽霊噺を語り始める。
 
 これ私も不思議に思っていたのですが、妖怪とかを大事にしている地域って街の形や雰囲気、暮らす人の感じがなんとなく似ていると思っていて、あんま色々詳しくまわって行っているわけじゃないんだけど……
(もちろん、全然似てないなという地域もある)

 遠野(岩手)と人吉(熊本)は訪れた時に本当にあらゆるところが似てるな〜と思っていました。観光資源とかもそうだけど、特に人の、生活している人々の感じとか話し方とか、街に対してどう接しているのかとか、細部がすごく似てるんだよな人懐っこい感じで……同じ国内のことだから、同時期に街を開発してればそら似てくるでしょとか、観光地ならどこも観光客にはおもてなしの対応するから似てくるよって言われたらまあ、そうかもな……と、それまでなんですけど。遠野物語と、点と点を繋ぐ、で思いついたのがそれだった。

 物理的距離があるのに生活する人の感じも、文化的景観も似たりするのは言葉にし難いけど不思議ねと思っていたので、おっ!そこについても、言及ある?と思いながら読み進めました。
 たぶんエリア的なそういう意味じゃないかもだけど。地域の中で似た話があるとか、そういうのも含めてさ、どこで派生した話も似たルートを辿るというか、ルーツが一緒だったかもねえ?というのは面白いと思うんだよな。(こじつけだったり後付けだったりの場合もあるけど。時々ホンモノがあるという意味でさ……)

 幽霊譚はどれもジェントルゴーストなお話中心となっており、埋まらない淋しさを確かめるような話が誰かの横に立っているみたいな読み心地である。どの話も怖がらせようというホラーではなく、ごく当たり前に死者が生者にコンタクトを取る穏やかな話で好きだ。

60p「死者からのたのみ」の1話で、死んだ8歳の少年が母親に、コンクールに出す手作り絵本が机の引き出しに入っているから送ってくれと頼み、実際引き出しを調べたら作品が出てきた。という話に心惹かれた。めっちゃいい…好きだなこの話。少年が作品として命を宿すのもすごく好きだ。死んでしまっているけど、とても前向きに感じる。

 最後のページに吉沢和夫による解説が載っている。1984年に書かれたこれらの蒐集噺は「本当にあったこと」と語り継がれて、現代民話として紹介され、2023年にも変わらない質感で手元に降りてくるようにそこにある。ページを捲れば読めるしなんか分かるなと思う。その時代を生きたわけではないから、戦争時の人々の複雑な感情や、暮らしについては吉沢さんが語るように「現代」として生活感を感じるように読むことはちょっと私には難しくて、想像をめぐらすしかないわけだけど。
「離別してしまっても、あえるならその人にまた逢えたらいいな」という感情だけはあまり変わらずに、怪異譚(紹介では現代の民話)という語りに希望として残されていくのはなんだか不思議な感覚だと思う。
 物語の輪郭は語り継がれている間に色々削られてはっきりしていなくても、軸にある普遍性というのはなんとなく全編同じで、そういうことかぁとなんとなく納得させられる。不思議な強さがあるなぁと思う。

それから、幽霊は男なら音を鳴らす女は台所で家事してる音出すみたいな話に筆者が「これには物申す、なんで死んでも女は皿洗いさせれてるんだ。女赤子の幽霊ですらお勝手してるのおかしいだろ」(本文とは違います)と不服だった話に笑った。ほんとそうな。集合知というか、漠然としたイメージで幽霊ってずっとつくられてるんだな〜という思いと、当時も女性はそうであったか……いまも〜……という共感が地続きで面白いなと思った。こういう表現が入ってくるのはエッセイならではというか、珍しい気がする。そこに作者がいてお茶飲みつつちょい愚痴りながら、話しているみたいな日常の延長に死者とのコンタクトも含む話があるのは面白い。
  ところでお勝手ってもしかして方言だろうか……キッチンまわりの家事を行う事という意味です……。


発行は35年前か……そんなに前じゃない感じするね。

死と向かい合うことで生の意味を考え、生の価値を探ってきた人間たちの、これは人間存在の根源に根差した語りの世界であると言い換えてもいいかもしれない。と吉沢さんは紹介している。

いい本だった。ショッキングな強い言葉や映像と圧縮された情報がハイスピードで流れてどんどん消費して疲れてしまう時代にこういう本に出会えることは、とてもいい経験だと思う。自分の軸も形は不恰好であれ、ぼんやり見える。

 こういったいつかの、どこかの、誰かの記憶の噺には、かなしみを紐解く癒し効果があると思う。

 ただそばに立ってるってだけの話、もっと流行ってもいいのにね。

おわり。


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