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【読書感想話】[千年樹 荻原浩][裏庭 梨木香歩著]

前置き

 「前よりnote読みやすくなってるよ!その本読みたくなった」
 久々に会った友人Aにそう言って貰えて嬉しかった。

 そもそも人に読んでもらい、しかも理解してもらおうと思ってnoteを書き始めていなかった。
完全にストレス発散で書き散らした言葉未満の羅列。
やっていることは、ほぼ誰も見ていない個人サイトを作ってガラケーで撮影した写真と共に日記を書いていた頃と何も変わっていない。その後はmixiに同じ事をしたし、Twitterでもどこでも結局同じことをしている。

 なので友人に読んでもらえていることも、それで本が読みたいと思ってもらえたことも、それを面と向かって伝えてもらえたことも驚きである。

 だって別に友人達からしたら敢えて改まって伝えなくてもいいような事だし、「私だって苦労して我慢して生きてんだからいちいち弱者ぶって弱音吐くんじゃねえよ」とそう思うような内容なのだからスルーすればいいのである。それでも会って会話をしてくれて、思ったことを伝えてくれたのは本当に嬉しい事だなと思う。
 たまに生きててよかったなって思うことってこういうことの積み重ねだよな、としみじみ感じた。

 「でも言ってる事とやってる事が違うのはなんでなの?」とも言われてしまったので、そうです。人間なので言うことがコロコロ変わります。俺は気分屋で単純なんだ。そして行動は衝動で行う時があるから自分でも読めないときがある……としか答えられない。5分後くらいには言ってる事の8割を忘れていたりする。最悪のインスタント脳みそなんだ。

 生きててそこそこよかったという記憶をかき集めてめっちゃちょっとの小粒の輝きを「こいつぁ最高かも」と思いながら毎日薄めてカルピスと一緒に飲んでいる。夏バテにはカルピスがいいんです。パイン味を牛乳で割って飲んだらいい。私には今、乳酸菌的なものとタンパク質が必要。腸内細菌が死滅しているから。

 母に伝えたら、母は「ストレートカルピスを麦茶で割るのが一番ミネラルも取れていいんよ。栄養士が言ってたからね!」と話してくれた。やってみたら後味に残る渋みが気になって、それはちょっと苦手な味だった。カルピスの甘みの後にヤカンの味が際立つフレーバーに仕上がっていた。

 ここに出してるのはこの形じゃないと面倒くさくて文にもしないから。
自己がどうしてこんなにくるっちまっているのか知りたいから。

 たぶん本当は自分で日誌を買ってきて自分だけのためにペンで書いて、気が向いたときに読み返して……と、していく方がいいんだろうなと思っている。ローカルの中で。それはとても健全だなって思う。友人Bはそうしてると言っていた。丁寧な暮らしだ。

 友人Cは言わんでいいことはしょうもないから言わんでいいと言っていた。言葉で刺されたら刺し返せと言っていた。それもそうだなと思う。
 
 私にはそのどちらもできない。他者の視線があるという環境下で、自分の怠惰と認知の歪みを見つめなおさないと人として終る。そのために先ず取っ散らかった感情の整理整頓をしたいみたいなところがある。

 そのために何がそんなに嫌だったのかを言葉に立ち上げないと狂いそうになるし、全部をポジティブな行動や感動物語に直ぐ変換することも、何かを作ったり表現することに置き換えることで昇華するのも困難になってきた。
前は意識せずともできてきたことが、徐々にできなくなってきている。

これはマズイ気がする。

 何十年生きてようやく整理整頓のところに来たのだ。ちょっと鈍間すぎるかもしれないが愚者なので経験でしか学べなかった分、今まで適当に振り分けて仕舞ってきた様々な事を、どの引き出しに何を入れるかもう少し真面目に考えなければならないと思っている。
 
 そして自力でローカルに整理整頓を行うと歪みに気づけなくて、すぐ化け物になる。そんな気がしていてnoteのかたちを選択したなと思っている。
 掃除を上手くするために使うツールみたいなものである。

 いろんな人が走ってきた道を何周も周回遅れでマラソンしている。まともな生活(主に金銭面の余裕)を送っていったら十代とかで気が付くのかな。少なくとも、今同年代の友人たちと悩んでいる内要について、ステージが違いすぎるなとはそれはもう凄く感じているんだけども。

 とにかく働かなくてはという感情が強すぎて感情を置き去りにした為に何もかもが愚鈍になっていると思う。
 やっとなんかこう、決壊した自分の破片を片っ端から拾って見てみるか……と思ったら読書の世界に先人の皆さんがヒントを置いていってくれているぽいので、ありがとうございます。

 今、拾い集め始めてポケットに入れてるところ。まだその段階……となっている。ところで、このマラソンってゴールありますか?なんも先に見えないので怖いんですけど。


と、前置きが長くなってしまったんだけれどこういった気持ちをすでにもっと共感しやすく言語化してあって、しかもここに繰り広げてる稚拙な自分語りじゃない言葉のプロの人たちの描いた、物語として昇華されている作品がこの世にはいっぱいあるので読んでその時何を思い出してどこに違和感があったのか、今までと変わらず感想を書こうと思います。

 稚拙でもいいじゃん!ゆるしてよ。こちとら生まれたてと変わらん防御力までたましいが地に落ちてんじゃい。

読んだ本の語っていることが似ていたけど、私が拾えたものが違ったから2冊分まとめてあるよ。



感想

[千年樹 荻原浩]


 タイトルの通り、樹齢千年の大樹(クスノキ)を軸にした様々な時代の様々な登場人物たちの人生の一部を読む短編物語だった。

 ばらばらの時間軸と人物像が脳内に入ってくる感じ。読んでいる途中は今何時代で、誰の何の話をしているんだ?と思いながら読み進めていくと、ふとした点で感情が二手に別れて繋がっていることがある。タイトルの名の通り、樹木の枝を辿っていくように読み進めた。

 今まで荻原浩の作品を読んだことが無かったのだが、水谷豊主演の邦画作品「HOME 愛しの座敷わらし」の原作小説を書いている人だという認識で過ごしていた。なんかそういう穏やかな心温まる作風の人だと思っていた。

 と後で調べていたら「逢魔が時に会いましょう」を読んでいたし、友人にしっかりお勧めもしていた。妖怪出てきて短編でほっこり納得した話が読みたいのなら逢魔が時に会いましょうがおすすめです。教授と助手の関係がかわいいので。私のようなオタクはトリックの苗字呼び合いコンビとかが大好きだろって。そういうやつです。

 読み始めたら最初からしんどい重いエピソードで心に刺さる。
あ、これ疲れるやつや……!と一度頁を閉じた。
ドシリアスかも。気合いを入れなおして読み進めることになる。

 いきなり無垢な子どもとその親夫婦が飢餓で死ぬまでがしっかりばっちり描かれる。き、きちぃ~と思いながら読み進めた。でもこれがないと読後のなんかよかったな……の一粒がきっと掬えないんだと思い読んでいく。意識朦朧とした父親から与えられたクスノキの実を不味さゆえ嫌がるが、父の死後飢えた子どもは実を口に含んで絶命する。

 物語はその後、神社(更に後に廃神社になる)の神木として立つクスノキの大樹に子どもの霊が見え隠れしていて、大樹を巡って起きる時代は違うが双対になった人々のエピソードにそっと子どもと大樹が寄り添っているという形式。

 ある場面では陰惨な事件や事故の呪われた忌避の地の象徴として子どもと巨樹が出てきたり、自殺しようとした少年を助けたという結末に精霊として登場したり……受けとめた登場人物の感情によって畏怖の存在とも、奇妙な隣人とも読める。摩訶不思議な存在として描かれている。

短編タイトル「蝉鳴くや」
 双対する物語は、蝉鳴く季節につまらないことで濡れ衣を着せられ切腹させられる事となった武士が、責任を擦り付けてきてさらにそれすらも笑いものにする同僚を死に際に暴れて道連れにする話と、同じく蝉鳴く季節に生徒や保護者の意見に挟まれてストレスを抱え、剝き出しの殺意が発散できなくて、刃物で樹を痛めつける男性教師が出てくる話。

 私はこの話を読んでいてものすごい嫌悪感があって、同時に凄く腑に落ちる感覚があった。数か月前にnoteに書き散らした文章がこの武士と男性教員の感情に似ているからだった。ひとを殺めようとは思い至らなかったし、植物を傷つける行為にも自傷行為にも大した意味が無いからという理由で行動に及んでいないけれど(破滅願望はずっとある)この人たちと同じくらい悪意が上昇して出口が無い、苦しい!と思ったことが直近で存在している。
 苛立ってささくれだったその感情を無視しない作品が手元にあったのが驚きだった。武士たちの結末は最悪の状況になったにも関わらず、同僚がやられていく様は少しスカッと爽快感まである気がする。恐ろしい感情だ。

 そういう感情も読書の中で発散するならあっていいらしい(ただし発散方法として犯罪も他人に押し付けることも“絶対すな”である)あっていいというか、認めてもいいらしいと思えたのが救いになった感じがあった。一気に軽くなる感じがした。
 ただ途中で男性教師が性欲も剥き出しになるのは本当に理解できなかった。わ、わからねえ。ごめんそこは性別が違うからなのかなんなのか分かんないけど、本当になんも理解できないと思った。

 男性教師の行動と武士の最期の行動が重なり、なんとも虚しいだけの言葉にならない叫びが木の洞に吸い込まれる。
 武士の辞世の句「蝉鳴くや」教師の吐き捨てる一言「ずっとそこでそうしてろ」
 冷たく切り離されるような、でもほんのり湿った穴の中に永遠にモヤモヤが残り続けるんだろうな……という嫌なのに爽やかな質感が人間苦手を助長させる感じで最悪でよかった。

 他のエピソードは割愛するけど、どの話もめちゃめっちゃ苦しくてでも一握りの良さがある。悪意はどの場面にも散りばめられてるので最悪な気分になったり疲れたらなんか違うことした方がいいと思う。
 本をよく読む人は逃がし方がわかるのかもしれない。私は一度食らっちゃうと咀嚼に時間がかかるので……短編であっても疲労が凄くて何回か挫折しそうになった。

 挫折も別にありちゃう?生活しながらなんてそれ以上負荷かけたら疲れるにきまってるんやわ。とも思う。

 むかっ腹が立ったらスクワットして塩と日本酒をぶち込んだ風呂に頭まで沈んで好きな作家のピアノ曲ばかりを水底で聴くとかした方が健康にいいぞ!そして寝ろ。

 ずっと樹木の擦れる葉音を潮騒の、漣の様だと繰り返し描かれてたのも印象に残っている。むしろ読後に残るのはこの良さだけかもしれない。
 だから樹海なんだと描かれていて、なんて言葉の気付きが上手いんだ。天才じゃんと思った。プロに失礼すぎる。

 森と海って真逆なのに目を閉じて聴こえてくる音は似ている。
 夏と冬が真逆の位置にあるのにどちらも侮っていると一番死までの距離が近いと思うのと似ている。
 夏の炭酸飲料をグラスに注いだ後聴こえる音と冬の暖炉で薪が燃えてひび割れる時の音は似ている。こちらは生だ。

どの場面でもそう言っていると思うと、五感を制限されたところから浮かび上がるものを理解していくことは、とても想像力が必要だし経験から引っ張り上げる記憶に残った良さは悪意がそぎ落とされて清らかですらある、そんな気がしてくる。

 わかりやすいのだと男性女性って真逆なのに同じニンゲンの話で元を辿ると出てくる問題は実はとてもシンプルだ。
 いやそう言われても、実際しんどい出来事に遭遇すると本当に全く理解できない所もあるんだけど……分からないのはもう、一人ひとり「みんなわからない」があるんだから諦めるしかないな、そこは。そういうことが伝えたいのかな、と思う。

 母親オススメのカルピス麦茶割の味が私の口には合わないのと同じ。でもその飲み方もそれでありでいいという、ただそういう話。

 心に残った一粒の輝きが苦くて不味い、樟脳の匂いのするクスノキの実ってこと!?でもその一粒が宝石みたいに輝くこともあるってこと!?人は皆クスノキの実ってことかい!と思って感動していたら、大樹は不気味扱いされて伐採作業車や人に木の実とついでに木に住んでいた蝶の幼虫もひき潰されたし、思い入れがあろうがなかろうが誰も止めることなくあっさり伐採され、鳥の食ったあとの糞に種は混ざるですよ。一応芽もどっかでまた出るよね!じゃあな!という踏んだり蹴ったりのオチだった。そこが凄くよかった。すごく誠実だったから。
 正しくないけど世界は大体そういう感じなんだ諦めな。と言われた気がした。ニンゲン最悪じゃねえか……苦手すぎる……。

 想像の巨木の下ではこもれびが感じられないんですよ!コンクリの上クソあっちいんだよ!育つまで何年かかると思ってんねん!!木を植えろ!!塩を街路樹の上に撒くな!!

 そしてめっちゃちょっとの小粒の輝きここにあったんだ、と思いこんでもいいらしい。私ももっと爽やかに人間を諦めたい。


[裏庭 梨木香歩著]

 タイトル通り裏庭の話だ。町の中に立派な洋館のお屋敷があってその庭に不法侵入する様々な時期の子どもたちの話である。お屋敷はお化け屋敷と呼ばれていて子どもたちは勝手に裏庭に続く抜け道を作り出し、子ども同士情報を共有しているので誰が作った穴か知らないけどそこを使って行き来している。大人はまあ知ってるけど敢えて放置していたり忙しさで注意することを忘れてしまっているような環境。オタク(私)が好きなシチュエーションすぎる。夏休みに読むのにピッタリすぎ。

 おもな主人公は「照美」と言う名前の少女だ。この名前にも意味がある。おもなとつけたのはその都度主人公が変わっていく、登場人物すべてが主人公の作品のためだ。家族の縛りが無い他者として認知し合う家族すべてが主人公の物語となっている。

 照美は父母から必要とされていない子どもなのかもと思い詰めており、お屋敷の庭に侵入してそのまま行方不明となる。
 実際は父母は共働き世帯の為にコミュニケーション不足に陥っており、更に言うと母親も同じように悩んでいた少女時代があったことが明記されている。思い当たる節がありすぎて心が痛んだ。わかるわ~……自分には子どもがいないが、この母親父親の立場になったら同じような心理になり、大人の振る舞いで子をあしらう自分のことが容易に想像できる。
 照美のどうでもいいんだ私なんて……と思い行動していく姿もわかりすぎる。どちらの立場でもないけど、どちらの立場にも自分も陥りそうだなと思える言葉がたくさん詰まっているのだ。

 これは先ほど書いた荻原作品の登場人物たちには感じなかった感情である。どちらも老若男女キャラクターが登場するが、性別や立たされる環境が自分と似ているなと思っても違う存在の言葉だなと思うことと、同じような立場で似た場面を見たことがある。通ってきたことがあるのでわかるなぁという共感は似てるようで全然感覚が違う。
 私は、より梨木作品に共感を強く感じる……と気付いた。ニュアンス、ニュアンスで伝わってくれ。そういう気付きがあった。

 照美は侵入した庭から裏庭の世界(異世界)へと招かれ旅をすることとなる。道行で心のどこかになにかを抱えた仲間を得ながら、会話をしながら裏庭の冒険をしていくのだ。
 作中冒頭では偶然迷い込んだような流れだが、実はしっかり名前が鍵となっていて"裏庭"に繋がっており、仲間も過去裏庭に縁のあった人々の積年の感情で、照美の行動を介してひとつずつ浄化されていく。

 劇中劇のように現実にファンタジーが混在してきて、ますます好きな展開だった。私はカードキャプターさくらで育ったオタク人間なので、衣装が魔法で作られるわけでは無く、衣装屋で憧れた可愛い衣服ではなく、旅のお伴に傍から見たらどうかと確認を取りながら見繕い自分に合った質素なものを選んだもので、実は本人の傷ついた心にリンクして意思によって冒険の終わりには憧れだった服になる。そんな少女の変身願望を叶えるような展開がきちんとあって嬉しくなった。ファンタジーをそのままキラキラ夢物語にせず、現実的視点が必ずあって俯瞰したところから見つめられるから立体感があり、受け入れられるようになっている。別の場面もそこが大切に描かれている。
箱庭だ。これは心理という箱庭が描かれていると思った。

 そんな風に読み進めていたら、登場人物たちも同じ話をし始めて上手すぎ!と思ってしまった。

 元お屋敷の住人レイチェルと家政婦のマーサの会話だ。私はこの二人の会話が一番好きだった。

 レイチェルは日本(お屋敷)で再び桜が見たい旨を伝え、マーサを同伴に誘う。
 マーサは日本はいやですと断る。この理由もイライラせずかなり納得いくから凄い。そんな二人の庭についての会話がとても良いのだ。
 マーサは庭の手入れが好きな人で、庭に対してとても理解がある。
 レイチェルは日本の和庭園も素敵であると説得するが、マーサは和庭園は自然の模倣であり、自分が好きなのは自然に任せたイングリッシュガーデン(家の庭)の姿であることと、手をかけてやらないと庭が荒れることについて語る。

 マーサ:自然のままに、全く手を加えないっていうんじゃないですよ。そうすると必ず庭は『荒れる』んです。
悪くすると敵意に満ち溢れた場所になります、大概の場合、そうなります。
自然の中には神の御心にそぐわないものが働いているとしか思えませんね

レイチェル:フランスの美しい庭は隙がなさすぎて楽しめない。家の庭はそうじゃないけど秘訣はあるの?

マーサ:眺めるってことなんです。草木に愛情をもって、応援し、その隆盛も衰退も積極的に見つめてあげるんです。
そうすると、それなりに自律した秩序ができるようでもあり、そうでないようでもあり、手入れされた混沌って風情が出てくる

レイチェル:つまり、ある程度雑草があればいい?

マーサ:無造作にみせるために二、三本の雑草を配置したうすっぺらい庭はすぐ見抜ける品格がありませんからね

裏庭 梨木果歩著より一部省略抜粋

 そしてレイチェルが少女時代を過ごした日本で見た満開の桜と家族、友人、尊敬していた先生の話をすると、マーサはこう続ける。

マーサ:あなたの美意識や精神形成の大事な基礎みたいなもんだった
そういうところは人が踏み込んではいけない場所ですからね

裏庭 梨木果歩著より一部省略抜粋

んも~~~~これ!!!これすぎる!!!!
ここ読んだ瞬間にこれがすべて、これのことが言いたかったんだって!!
と思った。んも~~そうすぎ。庭に例えてあるけどすべての事がこれ。
分かりやすいからSNSで例えるけど、私はnoteのこともTwitterの事もインスタとかなんかもう全部、庭だと思っていたのやな……と思ったらすべて合点がいく。ひとに見せてもいいように自分で手入れしていて大事に育てて整えていた草や苔、花を勝手に植え込み入って荒らされたり、畑じゃないのにいらん種ばら撒かれたり肥料置いていかれたり、水路ですよって言いながら土地分断してきたりしたらそら怒るんですわ。心に踏み入ってこないでくれ!?ここは俺の庭だ!!!
 そして大事な庭を上から目線でちんけな庭だとあざ笑うような奴にも馬鹿にしてくる奴にもブチギレなのだ。俺の庭は俺の好きなようにする!!!!

 これは本当の自然の方の話なんだけど、里山とかの荒れていく様子も人の手入れがあってこそって話だったよな……と感慨深かった。

 ちなみにレイチェルとマーサはお互い人として本当に尊敬しているわと告白しあい、いろいろあって結局日本にやってくる展開です。ありがとう梨木先生……Eternal Love.


 私が爆裂に泣いたのは照美が友人の幻覚を視て悪意ある言葉(自分で作り上げた妄想の悪意)を聴いて一旦絶望した後の言葉である。

ーー綾ちゃんが私をどんなに軽蔑していても、私自身は綾ちゃんの友達であることをやめたりはしない。だって、綾ちゃんは私に本当によくしてくれた。それは本当に本当のことだもの。私は綾ちゃんのおかげでどれだけ救われたかわからない。私は綾ちゃんが好きだ。この気持ちを本当にするためにも私はずっと、綾ちゃんの友達でありつづけよう。綾ちゃんのためになることなら何でもしてあげよう。

裏庭 梨木果歩著より一部省略抜粋

ここだった。打ち込んでる時も泣いたわ。全部これ。これしか残らん……
他にもこう、家族のさ!愛の話とかどんな存在でも(自分に近ければ近いほど認知が歪んで)殺意が湧くことはあるとか、家庭って家の庭って書くんだよって言葉とか裏庭こそが人生の本当の表舞台だって結末に新しい違う考えの持ち主の光(別の血筋)が時々なければ結局庭は駄目になると持っていく納得のいく読み心地とか、本当にとにかく言葉が!凄いんですけど、私が心底最高と思っていることってこれなんだ。
人を想うってこういうことだから!!!これ!!!!が!!!!!すべて!!!!!!ありがとう!!!!!!!!!!
になり一気に読んで一気に寝ました。快眠。

 あと読中にこれってインナーチャイルド的なアレっぽいよなーとか、解説読んだら心理療法家の方が執筆してたから、めっちゃ精神的な心理学療法なんだなって納得した。ここにヒントがあったんや……。

 ジャンルが児童文学ファンタジーだったので衝撃だった。
 老若男女全員読んでほしいよ。すべての人類のこと言ってんだから。


そして植物を買いに行った。部屋を庭にする。
私には今、ガチの庭が必要だから。


胃腸と自室を庭にしろ。心に大樹を育て上げろ。そして爽やかに他人を諦めろ。
それが私に今いることらしい。


おわり



 
 

 

 

  
 


 







 





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